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実家の形が変わった日(3) 母に会いに行く。

本当なら病人には自分のことだけを考えて欲しいが、わたしの母の場合はそれができなかった。

わたしの父は脳梗塞を2回経験しており、2回目の後は後遺症で右半身不随になった。母はまさに老老介護で自宅で父の介護をしていたのだ。

実家には兄が同居してはいたけれど、勤めているのでいつも家にいるわけではない。また、札幌市内に住む妹も休みの日はほぼ実家で両親の通院や買い物に付き合ってくれていたが、フルタイムで、しかもかなりの変則シフト勤務で、いつも実家に来られるわけではない。

だから、母はケアマネさんや家族に相談しつつ、父の第一介護者であり続けてきた。

でも、母が入院することになれば、これまでのようなわけにはいかない。

父を1人でほぼ一日実家で過ごさせることはできない。転倒しても1人では起き上がれないし、万一3度目の脳梗塞を起こしたとしても、誰にも気がつかれずに時間だけが経っていく。そして、父が抱えている病気は他にもいくつかあった。

というわけで、母の入院の前になんとか父にショートステイに行ってもらい、その後は長期で滞在できるところに移ってもらう必要があった。かなりの緊急事態だったけれど、これまでお世話になっていたケアマネさんが尽力してくれたおかげで、母が入院する前日に父が先にショートステイに入ることになった。

わたしはといえば、母の診断結果を聞き、わたしも母に会いたくなっていた。その前に会ったのはお正月で、その時はお互いに母ががんで入院するなんて思ってもいなかったし、何と言っても母はステージ4のがん患者で、いつどうなるかもわからない。

5月の引越しも気になったが、引越しの後に行くなどと言っていられない状況であることもわかっていた。

そこで、母に「会いに行きたいんだけど・・・」と2種類の候補の日程を連絡すると、
「来てくれるなら早い方がありがたい」
とのことで、わたしは父がショートステイに入った日、午前中に仕事を終えて午後の便で札幌の実家に戻った。

実家の玄関でわたしを出迎えたのは、タバコをくわえた兄だった。
 もちろん、居間には明日入院するステージ4のがん患者の母がいるのに、だ。

「ちょっと、何やってんの。タバコ吸わないでよ。吸うなら自分の部屋に行って。」
 気色ばむわたしに、兄は
「やだよ、今ドラマ見てるんだもん。」
とやめる気配もない。

 頭に来たわたしが兄のタバコを口元から奪おうとした瞬間、
「やめなさい!」
と一喝してわたしを止めたのは、母だった。

母はいつも兄には甘い。でも、母がステージ4で手術もできない体だと兄もわかっているはずなのに、どうしてそんなことができるのか。情けなくて悔しくて仕方がなかった。

その後は、食欲のない母のためにそうめんを茹でたり、母のリクエストでコンビニにアイスを買いに走ったり。わたしがようやく実家の冷蔵庫にあった残り物を夕食に食べ始めた時、兄が
「俺、明日4時40分に仕事に行くから」
という。

兄がそういうのは、わたしにそれに合わせて弁当を作れということだ。でも、わたしはこの日疲れていて、とても翌朝4時に起きて兄の弁当を作ろうとは思わなかった。

「ごめん、疲れてるから無理。」
「じゃあ、4時50分。」
「それでもダメ。何か買いなよ、そこにもコンビニあるじゃない。」

そんなやりとりをしていると、母が「私が作る」という。
「やめなよ、お母さん。明日入院するんだよ。自分で買わせようよ。」
「私が作る。もう作れないかもしれないから。」
 
聞いたか、兄。お母さんがどんな思いで明日弁当を作るって言ってるか、わかるか。
腹立たしく、情けなくもあるけれど、こういう時は母はがんこで、もう本人の言う通りにさせるしかないのだ。わたしはもう何も言えなかった。

そうして入院の朝、自分ではほとんど食べることもできなくなっていた母は、兄のために早起きをして弁当を作った。そして、それは本当に母の最後の手作り弁当になったのだった。

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櫻木 由紀 Yuki Sakuragi
カフェで書き物をすることが多いので、いただいたサポートはありがたく美味しいお茶代や資料の書籍代に使わせていただきます。応援していただけると大変嬉しいです。