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武者小路先生の旧宅とお庭と「武者小路実篤記念館」
以前の投稿でも書きましたが、東京都内の美術館、博物館、公園などをお得に利用できる「ぐるっとパス」を使い始めてあっという間に使用期限の2ヶ月がたちました。
最後にこのパスを利用したのは、調布市にある「武者小路実篤記念館」。
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武者小路先生は吉祥寺に住んでいた時期もありましたが、昭和30(1955)年から51(1976)年までの晩年の20年間は、調布市に建てた邸宅で過ごしました。
武者小路先生が亡くなった後、その邸宅と敷地は調布市に寄付され、今は「実篤公園」となっており、その一角に「武者小路実篤記念館」もあります。
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武者小路先生には住まいについて3つの理想があったのですが、この家はその3つを見事に叶えた家。
「自分の庭には水のある事」
「古い土器が出る事」
「土筆が生えている事」
がその3つ。
「…自宅の庭から土器が出る?」
とびっくりしましたが、本当に縄文土器のかけらがいくつも出たのだそうです。
仕事場兼自宅だった旧実篤邸は土日に見学できます。
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もちろん、今は仕事場もきれいに片付けられているのですが、先生がお仕事をされていた頃には原稿の書き損じや絵のモチーフとなる野菜や花なども置かれていて、本当に足の踏み場もないような状態だったとか。
応接室では先生が編集者や画商などの訪問者と話し、2階のプライベート空間で先生ご夫妻がお過ごしになっていたそうです。
仕事場の窓からは広い庭園を眺めることができるので、執筆や書画の目を留めて窓からの景色を楽しむこともあったのでしょう。
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敷地内の記念館はあまり大きくないものの、武者小路先生の資料やゆかりの画家の方の絵の展示もあり、関連資料を読める図書室もあります。
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図書室には持ち帰りOKの資料もあり、いくつか頂いてきたのですが、それがなかなか面白いのです。
特に面白かったのが、先生が1936年に51歳で初めて&生涯一度の海外旅行に行った時の資料。
7ヶ月半ほどかけて船で50都市を回ったのですが、最初は乗り気ではなかったその旅に出ることを決めたのは当時駐ドイツ日本大使だった兄のすすめがあったからだったとか。
旅の第一の目的は、1936年にドイツ・ベルリンで開催されたオリンピックを観戦し、そのレポートを日本の新聞社に送る仕事。
(この4年後の1940年には、幻となった東京オリンピックが予定されていました)
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そして、二つ目の目的は各地の美術館や博物館を巡る事。
武者小路先生といえばあのかぼちゃの絵などが有名ですが、若い頃から美術が大好きだった先生にとって美術館をめぐり、まだ存命だった画家たちにも会えたことは大きな喜びだったとか。
ピカソと会い、感激して作品を見ていると、ピカソはその場でエッチング作品に「ピカソより武者小路氏へ贈る」
とフランス語で書いてプレゼントしてくれたそうです。
お礼に日本から持参した筆を贈ると、ピカソはお礼を言って頭を下げ、別れる時には見えなくなるまで見送ってくれたのだとか。
ルオーから絵を買った時には、彼はすぐに署名してくれ、絵の具の乾かし方や絵の持ち方も自ら教えてくれたそうで、武者小路先生は日本に持ち帰ったこの絵を身近に飾り、大切にしたそうです。
アンリ・マティスと会って、画家が挨拶に差し出した手を見た時、先生は
「あのたくさんの優れた画を描いた手だ」
と尊敬の気持ちを込めて握手したとか。
マティスはその後米国に向かう先生のため、米国に住む息子さんにその場で紹介状を書いてくれ、そのおかげで先生は米国でたくさんの美術作品を見ることができたそうです。
アンドレ・ドランは自らドアを開けて先生を出迎え、座って絵を見られるようにと椅子を運んでくれたとのこと。
作品の素晴らしさはもちろん、はるばる日本からやってきた日本の作家を敬意を持って迎えてくれた画家たちの人柄にも先生は感激したようです。
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帰りにこの美術館で記念に買った詩集には心に染みる詩が。
「淋しさ
追い出せども追い出せども
淋しさ我が胸に入りこむ。
追い出せども追い出せども
飼い犬の帰りくる如く。」
あの武者小路先生もそんな淋しさを抱えていたのですね。
「飼い犬の帰りくる如く」の表現になんともいえない思いを感じます。
実篤公園は今の時期は紫陽花が綺麗でした。
季節とともにお庭の風景も変わりそうなので、記念館の展示が変わる頃、また行ってみたいと思います。
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今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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