地理フィールドワーク(宇都宮編)
昨日、学校が主催している地理フィールドワークに参加しました。今回は、そこで得た学びについて振り返ります。
中島飛行機➡富士重工業➡SUBARU
現在のSUBARUは、2017年に富士重工業から社名が変更されました。このことは記憶に新しいかと思いますが、もっと遡ると、富士重工業の前身は中島飛行機という会社でした。
中島飛行機時代
中島飛行機は、その名の通り、軍用機の制作を行う会社でした。実際、Wikipediaには以下のように書かれています。
現在のSUBARUの社員駐車場は、現在の自衛隊の駐屯地にあった滑走路へ飛行機を運搬する誘導路となっていました。その名残で、社員駐車場は一直線上に並んでいます。
また、江曽島には、五角形のロータリーが存在します(写真1)。このロータリーの東側には中島飛行機の製作所が、南側には林がありました。作った軍用機を製作所に置いておくと、敵国によって破壊されるリスクが高くなります。そのため、一旦、林の中に隠しておき、使用する際に東側に運ぶ必要がありました。しかし、ここである問題が生じます。それは、単なる交差点を作ってしまうと、飛行機同士のすれ違いが不可能だということです。そこで採用されたのがロータリーです。ロータリーを作るには、広いスペースを作ることが必要ですが、飛行機が互いに円を描くようにすれ違うため、正面衝突をする危険性はありません。現在も、ロータリーはそのまま残されており、日々車が行き交っています。
下に示した下野新聞社のリンクから、このことについてより詳しく知ることができます。
富士重工業時代
敗戦に終わった日本では、軍用機の生産は終了します。また、中島飛行機は解体され、1953年に富士工業、富士自動車工業、大宮富士工業、宇都宮車輛、東京富士産業の5社を吸収し、富士重工業株式会社が立ち上げられました。現在のSUBARUのロゴマーク(写真2)は、5つの小さな星と1つの大きな星で構成されていますが、このロゴには、「5つの会社が集合して、1つの会社が成立した」ことが表されています。
富士重工業では、2002年まで列車の製造を行っていました。現在、列車は走っていないものの、一部の線路は当時のまま、残されており、SUBARUによって管理されています。(写真3)
1960年代、モータリゼーションが起こり、車の普及が進んでからは、鉄道事業に加え、現在のSUBARUにも通ずる車の生産が盛んに行われています。
カンセキスタジアム
2022年に栃木県で行われた「いちご一会とちぎ国体」(現在の国民スポーツ大会)のために造られ、陸上などの新たな試合会場として宇都宮市民に定着しつつあるカンセキスタジアム(写真4)ですが、宇都宮競馬場(写真5)の跡地に建設されました。現在のサイクリングコースを昔は競走馬が走ってたようです。
ラウンドアバウト
先程紹介したカンセキスタジアムにとちのきファミリーランドという遊園地が隣接しています。実はその入口には、ラウンドアバウト(写真6)があります。
上の写真のような道路をラウンドアバウトと呼ぶのですが、皆さんはご存知でしょうか?実はこれには様々なメリットがあります。以下に2つほどメリットを挙げます。
減速が必須である➡事故の件数が減少する
信号を必要としない➡災害時など、停電した場合でも機能する
他にもメリットはありますが、その一方でデメリットもあります。先程減速の必要性による事故の減少を挙げましたが、減速することにより、交通量の多い場所では、かえって渋滞が生じやすくなります。したがって、ラウンドアバウトを導入するにあたっては、交通量などを鑑みた上で、メリット>デメリットとなるかを検討する必要がありそうです。
フィールドワークに参加した感想
今回、地理フィールドワークに参加して、いつもとは違った視点で街を見ることが出来ました。今後の生活においても、今回のような視点を大切に、多角的に街の観察をしていきたいと思います。
最後までご覧いただき、
ありがとうございました!
今後、地理についての記事も
書きたいと思いますので、お楽しみに!!