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小説のこと

Ⅹでリポストしたら、クソリプが返ってきた。
腹が立ったが、応酬すると泥沼になる。
気持ちを飲みこんで、台風の雨風の音を聞きながら、一日パソコンに向かっていた。

自分にも非はあった。

自分の価値観を押し付けない、というのはリアル社会で生きていくうえであたりまえに要求されることだ。
だれだって自分が好きなものやだいじにしているものを、人から悪く言われたり否定されたりすればいい気はしない。
気のおけない仲間うちでも傷ついたり怒ったりするのだから、これが見も知らぬ他人様からとなると、いきり立って攻撃的になったり、逆にへこんで自虐に走り、ひどい場合にはそれがきっかけで命を断ったりしてしまったりということだってありうる。

わたしたちは社会に出るまえに、学校生活やなんかで大小のトラブルを経験することで、将来職場の同僚や近隣で暮らす人たちとトラブらないための処世術を学んでいく。あたりさわりのない会話をオブラートに包んだ言葉で交わすのが、世の中で生きていくうえでのスマートなやり方なのだと。

人間関係は鏡だという。笑顔をむけると笑顔が返ってくる。自分のFFさんでも、ふだんからやさしいことばであたたかいポストをしているひとには、おかしな輩は近寄ってこない。悪口しか言わない人には、敵がわんさかいる。

けれどもわたしたちは、そんなにいつでも、楽しいこと、うれしいことばかりを話題にしているわけにはいかない。

リアル世界で気の合う者同士でつるむ目的の一つに、喜怒哀楽を共有し合えるということがある。自分がうれしかったことやおもしろかったことのみならず、不愉快に思ったり腹が立ったりしたことを、言葉にして吐き出す。それを安心してできる相手を「友人」と呼ぶ。

Twitter改めXが、LINEのような閉じられた仲間内でのコミュニケーションツールと大きく違うところは、自分の言説が不特定多数に届いてしまうところにある。
見たくなければ見なければいい、という言葉で開き直るのは正しくない。鍵垢以外のポストは全世界に開かれたメッセージであって、そのことばがいつだれにどのようにして届くのかは、わたしたちが想像できる範囲を大きく超えてしまっている。

そんな開かれたSNSでトラブルを避けるためには、ポストの内容を、あたりさわりのないものに限るしかない。好きなもの、気に入っているものをほめている分には、だれかにからまれたりすることはすくないからだ。

となると、言いたいことが言えなくなる。
言いたいことを気兼ねなく言える場を求めて、青い鳥のロゴをタップしていたはずなのに、Ⅹになるずいぶん以前から、そもそもTwitterはそんな場ではなかったのだ。
わたしたちは、自分自身を苦しめるこのネガな感情を、どこでどうやって発散すればいいのか。

1 Ⅹを鍵垢にして気の合うひと以外はブロ解する
2 LINEのような閉じられたコミュニケーションツールで仲間をさがす
3 Threadsを始める

とまあ、いくつか考えてみたが、「1」と「2」は面倒くさい。
「3」のThreadsは、いまのところ悪い評判はあまり聞こえてこないので、興味はある。やってみてもいいのだが、インスタと関連づけられるのが嫌だ。フォローはしていないがかつての同僚や教え子の幾人かが垢を知っているからだ。旧FacebookであるMeta社も信用できない。アカウントを作るまえにインスタの別垢を作ろうとしたのだが、思い通りにいかなくて、これも面倒になった。

そこで、note。
noteに小説やなんかを書き始めてそろそろ一年になる。
今日も夕方には、一年近く書き続けている作品の続編を書くことで、冷静さを取り戻せた。まだ途中なのでアップはしていないが、明日にはできると思う。

小説というのは、わたしたちがみずからの思いを言語化するにあたって、最もストレスを感じずに、楽しんで書くことができる形式なのではないかと思う。
表現そのものが意見であり感情の吐露である他の散文とはちがって、小説はただ読んだだけでは書き手の思いなんてものはよくわからない。
書き手自身にしても、よくわからないままに書きあげたものを、文字づらをなぞっただけの人がストレートに理解できるわけがないからだ。

けれども、小説を日常的に読んでいる読者にはわかる。わたしたち小説の読者は、言葉と言葉の間にあるものを読み解くようにして作品を理解しようとする(詩や和歌はもっと純粋に、言葉の表現そのものが意味なので、ストレートに心に突き刺さってくる点で、小説よりも上位な文学だと思う。哲学は文学ではないが、正確に組み立てられる言語表現が思考の伝達ツールではないところが詩と似ている)。

長いものを書きたくてnoteを始めた。
noteのいいところは、文字数制限のあるTwitter改めXでは避けられないような言葉のあやで苦しめられることがないことだ。
それになにより、ティファールのようにせわしなくて短気な沸騰タイプの人は、ここには寄ってこない。
小説みたいな、読んですぐにわからないものを、わざわざ時間をかけて読んでくれようという人が、たくさんいるわけではないけれど、すくなくとも書いてるほうはなにより気持ちが落ち着く。

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