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手術台のメリー・クリスマス(43)

「ばあちゃんがじいちゃんと知り合ったのは、高校を出てすぐだったんだって」
 ぼくは当時のことに思いをはせた。二〇〇三年、ぼくと同級生だった鹿島順子氏が高校を卒業した年だ。
 二月のはじめに、スペースシャトルの空中分解事故が起きた。コロンビア号が二十八回目の飛行を終え、地球に帰還する直前の大気圏再突入の際、テキサス州とルイジアナ州の上空で空中分解し、七名の宇宙飛行士が犠牲になったのだ。この事故にさかのぼる一九八六年一月にも、スペースシャトルの事故は起きている。打ち上げから七十三秒後に、アメリカ合衆国フロリダ州中部沖の大西洋上で空中分解し、七名の乗組員が犠牲になったチャレンジャー号爆発事故だ。それはコロンビア号の事故から十七年まえで、その当時のぼくはまだ一歳の誕生日を迎えたばかりだったからリアルに記憶してはいないが、この二月の報道の際、当時の映像もあわせて流れていたのを覚えている。さらにその半月後に、韓国の大邱テグで地下鉄放火事件が起こった。自死志願の実行犯の男が車両内で飲料用ペットボトルの中からガソリンを振り撒いて放火し、甚大な人的被害をもたらした。卒業式をひかえていた時期に、この二つの暗いニュースはぼくの頭に強烈な印象として刻まれた。
「じいちゃんは大学生。配送助手のバイトをしてた。高校を出たばあちゃんは、その配送先のスーパーでレジ打ちをしていたの」
 就職氷河期と言われた当時、高卒の有効求人倍率は「一」を切っていた。採用された同級生らの多くは非正規だった。正社員でまともな待遇を受けられるというようなうまい話などありえない、世の中にはそんな空気が暗黙の了解事項として浸透していた。やよいさんの祖母も、同じ時代に高卒で仕事につくのは大変だっただろう。
「夏にママが生まれた。二〇〇四年の八月二十四日。そのまえに結婚して籍は入れたけど、ばあちゃんは定職についてないし、じいちゃんもまだ学生だったから、ママはしばらくは、ばあちゃんの両親の家で育てられたの。私の曽祖父母の家ね。じいちゃんが卒業するのを待って、農業をしているじいちゃんの実家の町に、二人で越してくるはずだった」
「はずだった、って?」
とぼくは言った。
「かなわなかったの?」
「じいちゃん、死んじゃったの。クリスマス・イブの夜に、交通事故で」
 ぼくは胸をつかれた。
 やよいさんは、田村さんに事故の話をするのは気が進まないんだけどな、と前置きしてから、ぼくの腕にポータブルのメディカルモニターをかざし、ぼくの右の掌に、ハート型の防犯ブザーのようなものを握らせると、
「心拍があがってる。気分が悪くなったら、すぐにこれを押してね」
 ぼくにそう言ってから、母親から聞かされたというその話をはじめた。
「ママが生まれて、はじめてのクリスマスの夜だった」
 二十四日は水曜日だった。天皇誕生日の祝日だった前日同様に、クリスマス・イブのその日は、普段よりも荷物が多かったのだそうだ。順子さんの夫、鹿島純一さんは、コンビを組んでいた十五歳年上の運転手とともに、順子さんと知り合ったスーパーで積み荷を降ろしていた。
 事故はそのスーパーの駐車場で起きた。
自働車ヴィークルは、当時はなんていう名前だったんだっけ?」
とやよいさんが言った。
「クルマ」
「うん、それ」
 ぼくが『みどりの里』へ来て以来、やよいさんは病室では常にオンにしていたATMホンヤクキをあまり使わなくなった。ぼくとの会話でも、言葉がちぐはぐで疎通に困ることがなくなっていたのは、やよいさんの修練の結果だろうか。それとも、目には見えないところで、なにかまた特別な会話をサポートするAIアシスタントのようなものを使っているのだろうか。
「マニュアル運転で店に来たお客のクルマが、じいちゃんの相方の人に向かって、つっこんできた。運転支援システムにエラーがあったのかな」
 二〇〇三年当時には、車両の制御を行うドライバー支援システムは初期のものが開発されたばかりだった。車間距離制御|《クルーズコントロール》、車間距離警報、車線逸脱警報、VDCといったものが主で、やよいさんが想像しているようなものとは違う。搭載車種も限られていた。運転時にエラーを起こすのはあくまでドライバーだ。ぼくはしかし、よけいなことは言わずに、やよいさんの話に耳を傾けた。
「じいちゃんはとっさに、そのひとをかばったんだって」
「代わりにひかれたのか?」
 やよいさんはうなずいた。
 相方の運転手は純一さんに突き飛ばされ、追突をのがれた。駐車場内で、クルマを運転していた二〇代の主婦はたいした速度を出してはいなかったのだが、はねとばされたはずみで頭を地面に打ちつけた純一さんは意識を失い、収容先の病院で息をひきとった。
「ママは、話せるときに話しておかないとあとで後悔するよ、って、ばあちゃんからいつも言われてたんだって」
 事故が起きたのと同時刻の正午すこしまえ、順子さんは恵子さんと二人で家にいた。呼び鈴が鳴って、純一さんが予約していたイブのケーキが届いた。祖父母は娘夫婦と孫のためのプレゼントを買いに、朝から出かけていた。
「じいちゃんが亡くなってから、ばあちゃんは赤ちゃんのママを昼間は両親に預けて、資格を取るための専門学校へ通ったの」
「苦労したんだな」
「ここに書いてある介護福祉士国家資格看護師と看護師国家資格。CAの資格を取って、じいちゃんの生まれた町へ、ママを連れて越してきた」
 やよいさんはぼくに、その町の名前を言った。
「じいちゃんのお墓があるからね」
「二人で純一さん、おじいさんの実家に?」
 やよいさんはうなずいて、
「じいちゃんと三人で暮らすはずだった離れに。ばあちゃんが仕事に出ている昼間は、ママは保育園に預けられた」
「やよいさんも、その家で生まれたの?」
「そうよ。雪国の農家。ばあちゃんは『みどりの里』を創設するまえは、この町の病院に勤めてたの」
とやよいさんは言った。
「これがその、CAナース時代のばあちゃんの写真」
 やよいさんが手元の端末を操作し、ディスプレイに投影ミラーリングした。
「いっしょに写ってるのはママ。小学校に入学したころかな」
 おさげ髪に黄いろい帽子をかぶった女の子が赤いランドセルをしょって立っている。さっきここへ来ていた恵子さんだ。つぶらな瞳におもかげがある。その隣にしゃがんでいる、白衣姿でナースキャップをかぶった人物を見て、ぼくは目を見ひらいた。この人は。
 島本さんだった。

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