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手術台のメリー・クリスマス(41)
「田村祐一さんですね。はじめまして。このたびは『みどりの里』へようこそ。当施設オーナーの鹿島です」
彼女は長身の上背を傾け、エレガントなお辞儀をした。鹿島さん、やよいさんが『うちのママ』と言っていたのを思い出しながら、ぼくは彼女にあいさつを返した。胸の下に付けられたネームプレートには『みどりの里 鹿島恵子』と書かれていた。女性の歳はよくわからないが、二十四歳のやよいさんの母親だから、四十は越えているだろう。だとすれば、ぼくよりはすこし年上のはずだが、彼女はぼくよりずっと若く見えた。目鼻立ちのすっきりした顔立ちはナチュラルなメイクで、やよいさんより明るい色の髪をシニヨンにしていた。瘦身に品よくまとった黒のパンツスーツはオーナーにふさわしい落ち着きを醸していたが、ブラウスのあわい緑が、ぼくと同じくらいの長身にはなやかな色を添えていた。
鹿島恵子さんは、娘は階下で朝食の支度をしているとぼくに説明した。すこしかすれてはいるが、甘くずずしい声で、
「ゆうべはよくお休みになられましたか」
と訊いた。
「おかげさまで」
とぼくは答えた。
「朝はいつも、こんなに早くからお目覚めに?」
ぼくは壁の時計を見た。六時をすこし過ぎていた。
「平日は毎朝六時起きなんです」
とぼくは答えた。
「病院は七時起床でしたが、おかげさまで、ここへきて身体が戻ってきたようです。鳥の声で目が覚めました」
恵子さんは微笑して、
「娘に申しておきます。朝ごはんをはやく準備するようにと」
「いいんですよ、ゆっくりでも」
とぼくはあわてて言った。
「早起きのぼくに合わせていただく必要はありません。朝食の支度も、娘さん、やよいさんに任せ切るつもりはない、ぼくがしますよ」
「田村さんはうちの家族ですから」
恵子さんはやよいさんとおなじことを言った。
「田村さんが望むとおりになさってください。なんでも娘と相談して決めてくだされば」
「ママ―」
階下からやよいさんの声が聞こえてきた。
「田村さん、起きてるの? はやく連れてきて」
「『連れてきて』だなんて」
恵子さんは美しい眉を寄せて、
「口が悪いことで」
「いいんですよ、ぼくとやよいさんは『家族』でしょ」
とぼくは恵子さんに言った。恵子さんはぼくに微笑で返した。
ぼくは恵子さんにうながされ、壁にかかったヒートテックのマントのようなものを身体に巻きつけた。ふかふかの部屋履きをはいて、階段を降りた。階下から、コーヒーの芳ばしい香りがただよってきた。
「おはよう、田村さん」
キッチンのワークトップから振りかえったやよいさんは、いつもの快活な声をぼくに向けてきた。
「おはよう」
「こんなはやくに突然ママが……オーナーが来たから驚いた?」
「『ママ』でいいよ」
とぼくは言った。そうして恵子さんのほうを向いて、
「いいですよね? 家族なんだから」
恵子さんはやよいさんの顔を見て、こういう場合に母親が娘に返す種類の、愛情と説諭のまじった視線を向けたあとで、美しい微笑を浮かべながら、ぼくにうなずき返した。
「二人とも鹿島さんだとややこしい。お二人と話すときは、恵子さんにやよいさん、そう呼ばせてください」
まったくもってぶしつけだが、恵子さんはぼくに向けた微笑を絶やさなかった。やよいさんはつぶらな目をさらにまるくして、冷えのぼせで紅潮した顔をほころばせた。
朝食はトーストだった。やよいさんが、オリーブオイルとクレイジーソルトをかけて焼いてくれた。焼き目がつくのを待つあいだに、フライパンに千切りキャベツのせ、中央に作ったくぼみにベーコンを敷き、その上に卵を割ってふたをした。蒸し焼きで巣ごもりのように固まった白身をキャベツが崩れないように皿に移すと、仕上げにブラックペッパーを振りかけた。
コーヒーには温めたミルクを注いでカフェオレにした。デザートには、昨日ぼくがカートに入れたキウィにヨーグルトをかけて出した。
やよいさんが食事の支度をしてくれているあいだ、恵子さんはやよいさんに一切口出ししなかった。ぼくの隣のテーブルの椅子に腰かけて、娘の様子を静かに見守っていた。ぼくは恵子さんに、よかったらいっしょに召しあがりませんか、と言った。食事は済ませてきたと恵子さんは言った。飲みものだけでも、と続けて言うと、恵子さんは丁寧に辞退をした。
「はあい、お待たせ」
とやよいさんが言った。恵子さんは立ちあがって、自分が座っていた椅子をやよいさんに譲ると、自分は窓のそばのソファに移動して腰を落ち着けた。
「いただきまあす」
先に言ったやよいさんにならって、ぼくも両手を合わせた。カフェオレのマグカップに口をつけた。ほのかなミルクの匂いに包まれた挽きたてのこうばしい香りが鼻先をかすめた。
窓から差してくるあわい早朝の冬の日が、恵子さんの明るい髪色に映るのを横目で見ながら、ぼくは普段よりも時間をかけて、ゆっくりと味わって食べた。やよいさんはぼくが食べるのを見ながら、愛らしい口もとを草食動物が草をはむように動かした。
ときおり、窓の外から小鳥のさえずりが聞こえてきた。すべてが心地よくシンクロしているような、朝の食事風景だった。
ぼくとやよいさんの食事がすむのを見届けると、恵子さんはぼくにあいさつをし、帰っていった。