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手術台のメリー・クリスマス(44)

 ナースキャップをかぶったやよいさんの祖母は、間違いない、島本さんだ。
 定期試験の最終日、十一月のよく晴れた金曜日。
 放課後に行われた環境委員会のクリーンアップ活動。
 熱で倒れた友人に代役として推薦されたぼくは、同じクラスで、もう一人の環境委員だった島本さんと一緒に、学校の裏山の清掃に参加した。
 ぼくより長身の島本さんは、赤いフレームのメガネをかけ、肩の後ろまで伸ばした長い髪を括りつけていた。
 写真のナースは、恵子さんの隣でしゃがんでいるので背の高さは判別できない。メガネもかけていなければ、頭に被った昭和のナースキャップのせいで髪が長いのか短いのかも定かではない。けれども、小学生の恵子さんの肩に置いた長く美しい手の指は、ぼくの記憶している島本さんの手と同じだ。
あの日、島本さんは坂の途中の東屋で、静脈が浮き出て見えるほどの色白の手の甲に、怖がりもせずに虫を這わせ、『クモじゃないよ、ザトウムシ』とぼくに教えてくれた。
 病院で意識が戻ったときにはじめて聞いた、そしていまもぼくの隣で、自分が生まれるまえの話を聞かせてくれているやよいさんの声は、あのときの、島本さんの声にそっくりじゃないか。
「心拍数があがってる」
 やよいさんが眉根を寄せた。
「田村さん、すこしクールダウンしようね」
 ぼくが自分の身に起きた事故のことをフラッシュバックしたと思いこんでいるのだ。
「大丈夫だよ、事故の記憶がよみがえったわけじゃないんだ」
「本部のケア・ユニットに連絡を」
 そう言って、メディカルモニターを操作しようとしたやよいさんの手をさえぎって、
「そうじゃない。ぼくは、きみのおばあちゃんの」
 けげんな表情でぼくを見つめ返してきたやよいさんの目を見て、ぼくはかろうじてそのあとの言葉を飲みこみ、
「いや、なんでもない」
 あのときは、やよいさんの目も島本さんによく似ていると感じたが、あらためて記憶にある島岡さんの、赤いフレームのメガネのレンズを通して見えていた黒目がちの瞳が、目のまえのやよいさんのつぶらな瞳と重なった。
 やよいさんに初めて会ったときに、なつかしいものを感じた理由はこれだったのだ。やよいさんだけではない、さっききていた母親の恵子さんもまた、島本さん譲りの、すこしかすれ気味だが甘くすずしい感じの声でぼくに話していた。
 ぼくは、母から娘、そして孫娘と続く、血のつながりの軌跡を目のあたりにして、胸が熱くなった。
「ほうら、田村さん、血圧もあがってきてる」
とやよいさんが言った。
「心配しないで。もう届いたから」
 やよいさんは、ダイニングの壁に埋め込まれた棚の扉を開いた。病室で見たのと同じような数字の並んだキーパッドがあらわれ、そこにキーを差し入れると、円形の小窓のフィンがスパイラルに開いた。その中から、これもまた病室で見たような透明のトレイが出てきた。
「これを飲んで」
 やよいさんはトレイを、色白の掌に載せて言った。小指の先ほどの白い錠剤が載っていた。
「すこし眠くなるかもしれないけど、クールダウンが済んだら、また目が覚めるからね」
 ぼくは素直に聞きいれることにした。うながされるままに、錠剤を指でつまんだ。
「舌下に置いて」
「こう?」
 下の前歯の裏側に錠剤を置いた。
 その瞬間、すとんと意識が遠のいていった。
 
——私のもとへ帰って
——そうよ、美雪さんが待ってる
——田村さんはこの世界のひとじゃないんだもの
——ばあちゃんが買ったこの離れも、もとは田村さんの
——予定調和? すべてがリンクしてるのはそのせい?
——田村さんが、リセットするために必要だったの?
——タムラさん! ああ、タムラミサキ。職業は? ドクター!
——美しく咲く、で美咲さん。田村さんと美雪さんの娘さんなのね。田村さんがいなくなってから、生まれた?
——それで、美雪さんは、いまどこに? え? そんなことって……
——パパのばか。生まれてくる私とママを残して、って、美咲さんが言ってるの?
——田村さんのID情報が、いくら探しても見つからなかったのはそのせいなのね
——美咲さんに、田村さんを会わせるわけにはいかない。田村さんは、美雪さんのもとへ帰さなくてはならないのよ
——田村さんの過去が変わったら、美咲さんはどうなるの?
——……。

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