見出し画像

手術台のメリー・クリスマス(39)

 岸田さんは美雪の写真から解析したIDWAIアイディーワイとやらを、二〇四八年の地図データと同期させ、モニター上に映し出した。
「え?」
と岸田さんが声をあげた。
「変だな」
 画面の大部分を水色の部分が占めている。岸田さんの隣で、鹿島さんも首をかしげて、
「海岸、じゃないんだけど?」
 岸田さんがうなずいた。
 ぼくも地図が示しているものがなんであるかを理解した。そして、病室でエイジモニターの画面を見ていたときの岸田さんの表情を思い出した。あのとき、ぼくの髪の毛からはじき出されたのは、実は正確なぼくの年齢だったのだが、岸田さんにとってはそれはありえない数値だった。何度計測し直しても同じ値を示したが、岸田さんはそんなエイジモニターを相手に、技術者らしい表情をくずさなかった。隣にいた鹿島さんのほうは、みるみる元気をなくしていったのだが。
 岸田さんの表情は、あのときと同じだ。首をひねりつつも、モニターに向けられた理性的な瞳に困惑の色は見えない。岸田さんはタブレットに目を転じ、操作の一つ一つを冷静に検証し始めた。モニターには、AIの解析結果を同期した最初の画面が映った。指をさしながら声を出し、タブレットの画面上を動く彼の指先の優雅さは、同性でシスジェンダーであるぼくでも見惚れてしまうほどだ。
「ここは海だよ?」
 その額に『?』と書かれているような顔をしている鹿島さんが言った。海岸線は、IDWAIアイディーワイの当該地点を示すポインターから南に下ったところに、左右に弓なりに見えている。鹿島さんは画面右下の五〇〇メートルを示すスケールバーを指さすと、
「海岸からは、一番近いところでも二キロは離れてるね」
「ここは海に沈んでしまったということかな?」
と岸田さんは言った。
「海面が上昇したの? いつ?」
「調べてみよう」
 地球温暖化、という言葉が、ぼくの頭に浮かんだ。
「このあたりは以前は陸地だったのかな?」
 岸田さんがタブレットに向かって話しかけると、モニターの画面上にテキストが表示され、モアイ像のような顔をしたAIアシスタントが現れた。
『はい、以前は陸地でした。海水面の上昇にともない、災害時のリスク回避のため沖合のテトラポッドが撤去された二〇四〇年九月に海面下に沈みました。一九九〇年代なかばより、湾内クルーズ船の利用客や海水浴に訪れた人たちの利用を見込んだ、当時〈道の駅〉と呼ばれていた施設が存在していましたが、この施設を含む沿岸一帯には、満潮時の地表標高が三十センチに満たない地点が多く含まれており、二〇三四年に環境庁によって示された〈海水面上昇に伴う沿岸地域防災対策等指針〉により、立ち退きと移転が行われました』
 高い鼻すじに眼の部分が黒くくぼんだAIアシスタントは、きわめて中性的な声で発話した。
「災害時のリスク回避だって?」
とぼくは言った。
「テトラポッドを撤去することが?」
 ぼくの声にモアイ像が反応した。
『この海域のテトラポッドは、自然災害の防止と生態系への配慮から一九七〇年代ころから設置されていたものですが、大規模な津波がもたらされた場合、沿岸地域の海水面の上昇時に多大なリスクを生じさせる原因となる可能性のあることが、アセスメント結果により示されたためです』
「岸田さんの質問にしか反応しないと思っていましたよ」
とぼくは岸田さんに向かって言った。
会議ミーティングモードにしていたもので」
と岸田さんがぼくに説明してくれた。ぼくはうなずいて、
「へたに津波をさえぎらないようにしたほうがいいってことか」
 またしてもモアイ像が口を開いて、
『おっしゃるとおり、津波が沖合の障害物にさえぎられることで予測不能な要素が生まれ、津波到達時に複雑な海面変化が生じてしまうためです』
「海の底、なのね」
 鹿島さんがつぶやくように言った。モニターの中のモアイ像は、黒くくぼんだ目のあたりを鹿島さんのほうに向けて、
『この地域が海に沈むことが予測されたときから、すべての人工物は計画的に撤去され、更地に戻されています。かつての施設で現在海面下に沈んでいるものはありません』
「思い出は? ここがまだ海岸だったころに、ここで過ごしたひとはたくさんいたのよ。ウミネコたちを見ながら美雪さんとここでデートした田村さんの思い出は、いったいどこへ消えてしまったの?」
 鹿島さんの憂いを帯びた声が、ぼくの胸に突き刺さった。
『たしかに、かつての思い出が海の底に沈んでしまっているのは、まるで時間そのものが流れ去っていったような感覚でしょう』
 モアイ像の声音が変化した。さっきまでなかった情緒的なものをぼくは感じとった。
『タムラさんとミユキさんとの大切な思い出の土地が海の底に沈んでしまったことは、物理的な変化以上に心に深い影響を与えるものだとお察しいたします。実に切ないお話です。ただ、その場所の記憶がタムラさんやミユキさんの心の中に残っているかぎりは、お二人の思い出はこの先も消えずに存在し続けます。当時このあたりに生息していたウミネコについては、ご心配にはおよびません。お二人がご覧になっていたウミネコたちの子孫は、ここから二キロほど南の沿岸部にいまでも相当数の群れが平和に生息していますよ』
 
 岸田さんが帰っていったあと、鹿島さんはキッチンで、ぼくら三人が食べたおやつの後片付けをはじめた。ぼくが手伝おうとすると、鹿島さんは、
「だめだよ。しばらく休んでて」
 そう言って、手もとのポータブルのメディカルモニターをぼくの腕にかざすと、
「ただちにベッドにいかなければならないほどの消耗じゃないけど、ドクターの指示は『立ってはいけません。呼吸を整えて、安静にして座りましょう』」
 ぼくはおとなしく鹿島さんの言葉を聞きいれ、テーブルの椅子に戻ると、窓の外をながめた。ときおり強く吹いてくる風で、窓ガラスの雨粒が筋を引くように斜めに流れた。今夜は嵐になりそうだ。
「こいつで音楽でもかけようかな」
 ぼくは自分のスマホと岸田さんが置いていってくれたアダプターを手にしながら、鹿島さんに言った。
「岸田さんのおかげで、ひさしぶりにこいつがぼくの手に戻ってきた。いまのぼくの望みは、ここにはいってる曲を聴くこと」
 聴く曲によっては、ぼくの体調によくない影響が現れ、その結果、鹿島さんにまた余計な心配をかけてしまうかもしれない。そう考えたぼくは、
「ドクターの指示は?」
 鹿島さんはぼくの質問の意図を察したようで、しばらく考える顔をしていたが、
「いいよ。田村さんは、自分がしたいことをする権利があるんだから」
と言った。
「田村さんが聴いてた曲、わたしにも聴かせて」
 ぼくはスマホの画面を操作し、音楽アプリを立ちあげた。画面をスクロールし、『達也さん』というタイトルの、森の写真のアイコンをタップした。グルービーな女性ヴォーカルのR&Bが流れた。
 エアコンの効いたぼくの家のリビングで、美香さんと美雪とぼくの三人でホットコーヒを飲んだときのことを思い出した。
 その日、美香さんが美雪にMDを持ってきてくれた。そのMDは、美香さんのお兄さんが机の引き出しに残していた、達也さんの遺品だ。美香さんのお兄さんと達也さんは友人同士で、美香さんのお兄さんは、亡くなる直前の達也さんから曲のはいったそのMDをもらったのだ。レーベルに書かれていた達也さんの手書きの文字を見て、美雪は声をあげて泣いた。その背中をさすってやっていた美香さんも、美しい肩を震わせていた。
 ぼくはそれを美雪に聴かせるために、ポータブルのMDプレイヤーを同僚の先生に借りてきて、アナログ信号からデジタル化し、パソコンに保存した。オリジナルの音源はCDだろう。ぼくの知らない曲もいくつかあったが、多くは達也さんが亡くなるまえの年の一九九八年ごろに流行っていた洋楽を録り集めたものだった。出先やクルマでいつでも聴けるように、ぼくはそのデータを自分と美雪のアイフォンに取りこんだ。
「ノスタルジックな曲だね」
と鹿島さんが言った。
「美雪の、思い出の曲なんだ」
とぼくは言った。
「素敵ね」
 鹿島さんはぼくに背を向けていた。シンクに向かって洗い物をしていた手をとめて、メロウでスモーキーなヴォーカルに聴きいっていた。その後ろ姿を見ながら、ぼくは美雪のことを想った。美雪もまた鹿島さんと同じように洗い物をしながら、ダイニングのBluetoothスピーカーから流れてくるこの曲に耳を傾けていた。

いいなと思ったら応援しよう!