花明かり(64)
友人の死について、智子が僕に訊いてきたのは、宵闇の海岸だった。ちょうど今のように、二人で腰を掛けていた。夜の国道を行く部活帰りらしい高校生の自転車の列が、僕らの前を通り過ぎて行った。部活の話題になり、バンドのことを話した僕に、僕のステージを見てみたかったと智子が言った。そのステージが最後で、もう人前では演奏しないと言った僕に、智子が理由を訊ねた。そのとき僕は適当なことを言ってごまかしたのだ。
美子には本当の理由を言った。打ち明けたのは成り行きで、美子に誘導されたわけでもなかったが、美子には迷いなく、訊かれるままにすらすらと言葉が出た。ごまかしや割愛もなく、そのときの思いを正確に打ち明けた。先に訊かれた智子にはまだなにも話していないのに。そのことが僕にはずっと、うしろめたいことのように感じられていた。なので、
「ほんとうのことを話して」
と智子が言ってきたのは、渡りに船には違いなかった。
だけど、と僕は続けて考えた。友人の死について頭で理解してはいるものの、心の整理はまだついていない。それが起きたときからまだそんなに時間が経ってはいないし、もう済んだ過去のことだと割り切って考えられるほどに、僕自身も歳をとってはいない。
それでもいままたここでごまかしてしまえば、もう二度と話す機会はないように思えた。僕は決心して言った。
「話すのはかまわない。きみにはむしろ本当のことを聞いてもらいたい。だけど、そのまえに」
どうしたの? というような表情で智子が僕を見返した。
「もったいぶってるわけじゃないんだけど、実際的な問題として、腹が減ってるんだ。約束通り、朝食抜きで出てきた。クレープとコークハイだけでは僕の胃は満たされない」
「いいよ」
と智子は笑って、
「わたしの胃は田村くん以上に空っぽ。昨日、田村くんを訪ねて行くまえにつまみ食いしたときから、固形物はいっさい口にしていないから。ものごとには順番がある。腹が減っては戦ができない」
「そういうこと」
と僕はうなずいて言った。
「だけど、それだけじゃない。一言二言で、簡単に話せない理由はほかにもある。実はおれにとって、そのことをだれかに話すのは、けっこう重いことなんだ」
智子はしばらく僕の顔を見ていたが、
「重い話なのね」
と言った。
「悲しい話?」
僕はまたしてもうなずいた。
「それはどのくらい?」
「ひょっとすれば、今日このあとのおれたちの予定が台無しになるかもしれないくらいには」
「わたしたちの予定?」
「今日はきみに、じゃがじゃが事件のつぐないをするんだ。きみの腹が美味いもので充分にふくれたのを、この目で見届けなきゃならない」
「お腹ね」
と智子は言った。
「どさくさにまぎれて、いやらしいことしないでね」
「いやまあ、それは言葉のあやで」
「わたしのお腹がふくれたら、そのあと話してくれるの?」
いかにも、と言うように僕はうなずいた。
「それとも、日をあらためたほうがいい?」
「いや」
と僕はかぶりを振って、
「今日話す」
「じゃあ、決まり」
と智子は納得した顔をして、手に持ったコークハイを一息に飲みほした。
「行きましょ」
僕のカップと合わせてビニールの袋に入れ、うながすように立ち上がった。
僕らが席を空けるのを認めた三人組の女の子たちが寄ってきた。そのうちの一人が、手に持っていた学祭のパンフレットをわきに置いて、セリーヌのクラッチバッグから『写ルンです』を取り出し、音を立ててフイルムを巻いた。
屋外のスピーカーからリピートして流れているトップガンの“Take My Breath Away”に、学祭の放送局のアナウンスの声がかぶさった。昼前の野外ステージの案内をしている女の子の声は有名な声優とよく似ていたが、それがだれなのかを僕は知らなかった。
「なにから食べよう?」
と僕は智子に訊いた。
「そうね」
智子はしばらく考えてから、
「わたしと田村くんが食べたいものを交互に食べましょう。量が多いと食べきれないから、手伝ってもらえる?」
「いいよ」
と僕は言った。
「わたしが食べたいだけ食べたら、田村くんがそのあとを引き受けるっていうことで」
「わかった。じゃあ、最初に食べるものをどちらが提案するか、じゃんけんで決めよう」
と僕が言った。
「だめよ」
「なんで?」
「わたし、じゃんけん弱いから。いつも負ける。それに、こういうのは、最初になにを選ぶかが重要なのよ。先まで見越して、考えないといけない」
「強いも弱いもないよ、単なる確率の勝負なんだし」
智子はかぶりを振って、
「田村くん、ひとの出す手を読むの、得意でしょ」
「どちらかと言えば苦手ではないかな」
「じゃんけんなんて、ぜんぜん公平じゃない。自分の意見が多数派だと確信したときに多数決を提案するのと同じで、高度に抽象化された暴力だわ」
「よくわからないけど。じゃ、もっと民主的なゲームで」
「なににするの?」
「勝負がフェアじゃないと文句を言われないために、ゲームを選択する権利はきみに譲る。ただし、条件がある」
「条件って?」
「負けるが勝ち」
「だったら、じゃんけんでもいいよ。サティヤーグラハ」
「なんだい、それは?」
「ガンジーの非暴力と非服従」
僕はかぶりを振って、
「それは、却下。じゃんけん以外で」
「わかったわ」
智子はしめしめ、というような顔で僕の顔を見て、
「じゃあ、しりとりで。わたしからいきます、唐揚げチキン!」
「えっ……。汚ねえなあ」
「戦略思考による勝利ね。わたしはどんな暴力にも屈しないの」
智子は笑った。
「仕方がない」
僕は舌打ちして見せて、
「なんでもいい、はやく食べよう」
「ほら、あそこの唐揚げ、体育会系のひとたちが揚げてるから、きっとすごくおいしいわよ。生ビールはわたしがおごってあげる」