息子であり、彼氏であり、パートナーであるココのこと。
5年ほど一緒にいるブンチョウとわたしの話です。
出会い
2018年6月5日、里親掲示板に掲載されていた尻尾がかじられた中雛くらいのシナモン文鳥の里親募集に目が留まり、なんとなく投稿者にメールをしてみた。その時すでにノーマルブンチョウのクルミが家にいて、お友達になれそうな子をお迎えしたいなと思ってた頃だった。
すぐに返事はきた。まだいますよ、と。
何通かメールをやり取りして、最初のメールから4日後の土曜日に引き取りに行くことが決まった。
お迎え日
待ち合わせ場所で待っていると、優しそうな女性が小さなケーキでも入っているような取っ手付きのボックスを片手にこちらに向かってきた。ボックスの中からはバタバタと暴れているような音がする。
今思うと、警戒心が強く怖がりのこの子が親や兄弟から離されてひとりだけ箱に入れられて、相当怖かっただろうな。。
先住鳥クルミとの初対面
家に帰るとひとりっ子クルミが待っていて、「クーちゃん、お友達できるね♪」なんて言っていたのを覚えている。クルミが通院するためのキャリーケージに入れてひとまず落ち着いてもらおうとボックスをそっと開けたら、ものすっごい勢いで慌てて飛び出してわたしから逃げようと必死に部屋の高いところを飛び回る。パニックで倒れないかめちゃくちゃ心配だったなあ…。あえて捕まえようとせず知らないふりをしていたら、そのうちバテたようで捕まえてキャリーに。
初日はいったんキャリーで1日安静にしてもらうことにした。この新入りちゃんには兄弟がいたってことだったから、クルミを放鳥して近くにいかせることにした。鳥さんの存在を感じる方が安心するかなあ、と思ったんだよね。
この対面の後、ご飯をガツガツ食べ始めてくれたから、そこでようやく少し安心した。
改めて、ココさんよろしくね。
名前は翌日ふとした思いつき。先住鳥がクルミだから、ナッツ系でいこうと思い、ナッツの名前でかわいいのは何だろうかといくつか考えて、「ココナッツ」に命名。でも毎回ココナッツって呼ぶのは面倒だったから、普段は「ココ」と呼ぶことに。
クルミとの別れ
2羽はオス同士ですぐに喧嘩するけど、お互い居ないと寂しがるというなんとも不思議な関係性を築いていた。
特にココは、クルミをいつも探してた。仲の悪い兄ちゃんだとでも思ってたのかな。主従関係がきちんとできてた。ココはいつもクルミのやることを真似してた。
この頃わたしは新しい職場でものすごく忙しくて、ミスも多くよく落ち込んでた。この子たちとの時間は唯一の癒やしだった。わたしはふたりが大好きで、このこたちが居ない世界なんて考えられないほど、この小さな生き物に心の拠り所を感じてた。
でも、別れは突然やってくる。
クルミがいなくなってしまった。4年経った今でも、当時を思い出すのは辛い。というか、この時期の記憶がない。モヤがかかったみたいに。いなくなってしまった当日のことだけは鮮明に思い出す。「心が痛む」という表現は秀逸だと思うと同時に、陳腐だなとも感じる。頭がグワンっと揺さぶられて心臓がバクっとなるこの感覚は、この先消えることはないんだろうか。
ココは、クルミを探していた。呼び鳴きが止まらず、クルミがいないケージの前を行ったり来たりして、時折不安な表情でわたしのところに来て「クーがいない」って言ってるかのようだった。
クルミがいなくなってたぶん1週間くらいかな、ココが明らかに元気がなくなっているのに気づいた。毎日その日食べる分を入れている餌箱には、3分1ほど残っていることが増えた。もうクルミを探して呼び鳴きすることもなくなっていた。いなくなってしまったのだと、ココなりに理解したのかもしれない。
置いていかれた、と感じたのかな。ひとりぼっちだと感じたのかな。わたしはクルミのいない現実の中で申し訳無さと罪悪感でいっぱいで、せめて目の前にいるココが孤独を感じる時間を最小限にしたくてリモートの時間を増やしたり、休みの日もずっと一緒にいるようにしていた。
…今思うと、ココのためというより自分のためでもあったけど。誰かと遊びに出る気になんてなれなかったし、当時付き合っていた彼とは距離を置いた。いつも観ていたテレビは面白くなくて、何を食べてもおいしくなくて、ふと気を抜くと涙が止められなくなるような状態だった。仕事をしている時だけは唯一その状態から抜け出せたけど、憂鬱は隙間を見つけてやってきた。こんなんじゃだめだと思った。
雛のお迎え
ココが孤独にならない方法と、自分を救う方法をいろいろ考えて、これしかないと思った。
無責任だと言ってくる人もいるけど、別に構わない。ココの感情も、わたしの苦悩も、その人たちは何も知らないのだから。
ココの表情が変わった。
クルミとは違って、元の飼い主さまのところで親・兄弟鳥の中で育ったココは社会性・協調性があった。新入りちゃんに先輩面しながらもいい距離で接してくれた。わたし自身も、雛たちのお世話で忙しくできたことは回復の一助になったと思ってる。
いつも一緒にいてくれるココへ。
はじめましての時、わたしの手に乗るどころか近づくと逃げて、クルミに助けを呼ぶほどだったココは、今ではお手々大好きっ子になってくれた。
新しい仕事を始めて憔悴しきっていた頃、いつも変わらず側にいて癒やしてくれた。
人間の彼氏と喧嘩して泣きべそかいてた時は、ほっぺたをチネリながら涙をぬぐってくれた。塩水美味しかったね。
クルミがいなくなってしまったとき…。
ココがいてくれたから、強くなれたよ。
家の改築や引っ越しで環境が変わる度にストレスかけちゃってごめんね。でも勇気を出してひとしきり新しい部屋を飛び回ってすぐに慣れてくれて、ちょっと得意げにわたしのところに報告しにきてくれるよね。
この5年半くらいで転職、クルミとのお別れ、引っ越し、結婚と、ココはわたしの分岐点でいつも一緒にいてくれて(というか連れ回してるんだけど)本当に感謝してます。
老い支度を始めよう
季節の変わり目でも元気いっぱいで、他の子たちに比べて手がかからず健康優良児だったココが、このところ体調を崩しやすくなった。いつも定期検診でお世話になっている病院で出してもらったお薬がなかなか効かず不調を繰り返していたから、鳥界では著名な先生のいる関東の病院に診てもらいに行った。レントゲンをとると、今の不調は肺と胃にあるけど、それだけでなく心臓含めところどころ臓器が弱ってきている、とのことだった。
ココは今年5歳になった。人間でいうと40〜50歳くらい。まだ老鳥ではないけれど、もう若くもない。今までは毎年1年を何事もなく過ごしてきたけれど、これからは気温の変化や気圧の変化、環境の変化などの外的ストレスに少しずつ、でも確実に影響を受けやすくなってきたということだと思う。
小さな命と大きな存在
少しだけ、葛藤がある。
専門医からは、「心臓の肥大で呼吸が苦しくなってきた時はそれ用の薬がありますから、その時はまたご相談くださいね」と言われた。頼もしいと感じると同時に、「どこまですべきだろう」という気持ちが湧いた。ココは何を望むだろう。
自然界の鳥たちは、臓器のトラブルで死に至ることなんてきっとほぼなくて、大抵が捕食されるか怪我や事故、天災や飢餓によるものだろう。
人間に飼われた鳥たちは、自分たちの世界は安全で、然るべきところにはいつもご飯とお水がある。ちょっと呼吸が苦しければ人間が薬を飲ませてくれる。自由に飛べるのは人間が許した放鳥時間だけ。大抵の時間を安全なケージの中で毛づくろいしたりブランコで遊んだり寝たりして過ごす。人によっては滑稽に聞こえるかもしれない。
例えばココが大病に侵されたとして、手術か緩和ケアか安楽死かの選択を迫られた時、わたしはどうするだろう。
しんどい思いをしてでも助かることはココが望むことなのか、それともその時がこの子の寿命なのだと考えるのか。
なんにせよ、一番苦しまない方法を選択したいと、今のわたしは思う。もちろんどういう症状でどういう病気なのか、手術するならその成功確率など、いろいろと考慮する点はあるけれど。
この小さな生き物は、いつの間にかわたしという人間の大部分を占める存在になっていて、ココを世界一幸せな飼い鳥にしたいと思うようになっていた。
一緒にいられる時間を大切に、毎日を過ごしていきたいなと思う。あわよくば、長生きしてね。