占星術をやることになったワケ
占星術を学ぶきっかけとなったのは、先生とクラブハウスで出会い、セッションを申し込んだことから。
私は占星術を学ぶ気がさらさらなかった。
だって占いだと思ってたから。
占いって、人を型にはめるようで嫌いだった。(しいたけ先生は大好き!)
あなたはこういうところがありますよね。
あなたはこういう人ですよね。
寄り添ってくれる理解者のように感じる。
それが嬉しいのもわかる。人に理解されない内面や自分が本当に感じていることを話してくれて、「そうそう!そうなんですよ〜!」と自分のことを話したりするのは、嬉しいし楽しい。
でも、終わった後、特に何も残らない。
あー楽しかった。で終わりである。
もちろん、この時期にこいうこと気をつけた方がいいとか、そういうことを言われるのもありがたい。
でも自分という本質と何にも結びつかない、「ただの当てはまる統計学」。
そんな感じだから、自分には関係なく、学ぶより楽しく聴きにいく。という感じだった。
それなのに、占星術を学ぶことになった、
理由はヨガである。
ヨガを始めて、自分とは?この世界とは?本当の自分てなんだ?
と、自分探しが始まった。
先生にセッションを申し込んだのも、過去生のことを見てもらいたかったからだ。そのあたり3年ほどはスピリチュアルのことばかり深掘りしていたので、過去生はこれまでも何度も見てもらったことはある。
ちなみに、信頼している人が先生を含めて三人いるので、その時に合わせてお願いすることにしている。とても有難い存在。
話を戻して、初めてのセッションで先生に言われた自分の過去生に私はボロボロ泣いた。
私は感動して泣いたのではない。至ってクールで冷静に聞いてメモをしていた。
でも涙と鼻水が止まらない。
先生はめちゃくちゃ喋る。早口でカン高い声で、ペラペラ止まらない。
特に上と繋がっているとき喋らされているから、すごい言葉数になる。
セッションが終わるまでに、自分がどんどん浄化されていった。
本物の人というのはすぐわかる。
終わった後に色々と話をしていて、この人がやる占星術なら、自分の知りたいことに答えが出るかも知れないと思った。
瞑想やヨガでありのままを受け入れる。すべてを分け隔てることなく、認め、愛する。時には、自分を掘り下げ、あらゆる自分の面と向き合い、ドロドロの自分とも過ごすこともある。
引き寄せる力や直感力は、おかげさまで磨かれていったと思う。
でもそれでは、何かを成すという事ができない。
この世界を生きる力のない私には、それが本当にできない。
周りには、「それでいいじゃな〜い。何をやる必要があるの?一体何を変えようとしているの?そのまんまのゆきちゃんでいたらいいんだよ」という人しかいない。
それでいい。
確かにそれでいい。
でも私の心は納得していない。
何かが違う。自分が求めているものがある。
社会という世界に自分を出してみたいのだ、そこで自分という世界を認めてもらいたいのだ。
でもできない。どうしていいかわからない。
コンサルの方にもちょっとだけやってもらったこともある。苦しすぎてやめた。
安定した企業のお仕事も、ありがたくやらせてもらっている。
企業で経験を積むほどに、認めてもらっているのは感じる。
たくさんの課題もいつも感じ、研鑽させていくには終わることはない。
多くの人に楽しいものや役に立つことを届けられている一助になっていると感じる。
とてもいい企業と人ばかりで、本当にありがたい縁を頂いてる。
でも、私が求めているのは、会社ではない。社会、なのだ。
誰かの作った箱の中ではなく、自分というものを通して社会に関わってみたい。そう望んでいた。
どうしてそう思うのか。
どうして自分はこうなんだ。
どうして自分はこういうところに目が行くんだ。
どうしてこういうことをやってみたいと思ってるんだ。
どうしてできないんだ。
どうしてこういうことができるんだ。
どうしてこういう人生なんだ。
あらゆる面でそういうことがいっぱいだった。
スピリチュアルにも説明がつくはずなんだよ。
この世界に意味のないことなんてないはずなんだよ。
もちろん、本当の本当のことは、言葉にならない。説明はつかない。
でもおおよそのことは説明がつくはず。世界は完璧だからこそ、曖昧ではない部分がもっとあるはず。明晰に区分けして理解をすることができるはず。
どこかでそう思っていた。
それを教えてくれたのが占星術だった。
自分を生きる。
またしてもヨガや瞑想の教えにつながったこの統計学は、私に本当に答えをくれた。
だから私は、これをやることにしたのです。