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つい正解にこだわってしまう私が、息子から教わったこと。
ついつい、正解を探していませんか?
「こうしなきゃいけない」
「こうじゃないとダメ!」
って、言ってませんか?
そのせいで、気づかないうちに
心がカチコチになっていると
ちょっとしんどくなりますよね。
今回は、そんな心が
ちょっとやわらかくなるお話です。
*
私たちは、正解のある世界で生きてきました。
その最たるものが学校教育で
教科書があって、テストがあって
求められた正解にマルがつく。
正解があると、安心するし
「そもそもその答えが本当に正しいのか?」
と、自分の頭で考えなくても
生きていけます。
これは私の話ですが、
算数や、漢字の勉強が好きでした。
好き、というより、ラクでした。
正解を導き出すだけ、正解を覚えるだけで、自分の頭で考えなくていいから。
だから、工作や自由研究など
正解がない、考えないといけない作業
は苦痛でした。
そして大人になって入ったのは医療の世界。
とりわけ薬の世界なんてのは、明確な正解が多い。
私の頭はますます正解ばかりを求めていきました。
振り返ると、もっと小さい頃から、
母親の機嫌を損ねないことを正解として
行動してたのかもしれません。
*
それが徐々に変化してきたのは
ここ数年のことです。
自分が“正解”だと思っていたものに疑問を持ち始めたり
1つのことを正解として、他を悪者にする人を見て違和感を感じたり
正解なんて、人の数だけ存在するもんだなって悟ったり
そうしているうちに、ようやく自分が
“正解”に囚われていることに気づきました。
気づいた今でも
何十年もかけて培った癖がすぐに変わることはなく
今でも
呼吸するくらい自然に無意識に、
正解を探しているし
ものごとを良いか悪いか、ジャッジしてます。
そして、そんな自分を
「そんなんしたらあかん!」
って、さらにジャッジしてる(笑)
そんな私に最近、息子がこんなものを見せてくれました。
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通信教材のカタカナ練習。
いつもは、うまく書けないとかわからないとか
泣き言を言いながらやっているのに、
この日は何やら誇らしげに見せてきました。
“ホ”を書くはずの枠いっぱいに描いた、3つの顔。
聞くと「ママと兄ちゃんとぼく」だと。
通信教材の正解は“ホ”なので
「字の形に気を付けて書いてみよう」
という解説が流れるんだけど
それでもドヤ顔で見せてくれる息子。
なんだか嬉しそう。
昔の私だったら、
ちゃんと書くように諭したかもしれません。
あるいは忙しい日なら、さっと流していたかも。
このときの私は
「めっちゃいいやん!ありがとう!」
そう伝えました。
すると彼はまた満足そうに絵を描きます。
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しばらくの間は
顔を描くたびに見せに来てくれて
いつの間にか書けないと言っていたカタカナも
どんどん書けるようになっていました。
子どもに正解ばっかり言わなくていいんだ
と思うと同時に
自分にも正解ばっか求めなくていいのになあ
と思った体験でした。
あなたの心も
ちょっとやわらかくなったら嬉しいです。
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読んでいただきありがとうございました(^^)