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あまりにも字が汚いが故に僕は書道家になった。(なってない)

僕は字が汚い。

近頃はペンを持つ機会が減ったせいで忘れてしまいがちだが、手書きをする必要に迫られてふと思い出す。

そういや字、汚かったなと。


でも、久しぶりに字を書こうとするとき、もしかしたら上手く書けるんじゃないか?という気になる。

スポーツでもちょっとやらない期間があった方が、変なクセとかが取れて逆にうまくなってるパターンってあるし…、うわ汚っ。


となるのだけれど。




たとえばノートの文字なんて自分で見ても読めなかったりする。それは、ノートを取れと言われていたから取っていただけで、見返すつもりなどさらさらなかったからだ。


学生時代、テストでわからない問題の答案を書いているときなんかは、逆にこんなもん読めなきゃいいのにと思っていた。むしろ解読不能な文字を採点者がいいように解釈してくれて、丸にならないかなぁくらいの傲慢さすらあった。


思えばこれまで字を綺麗に矯正しようとしたことは一度もなかった。おそらく、「頭のいい人は字が汚い」という迷信を鵜呑みにしたせいだろう。


字が汚くてもいいか、そっちのが頭良くなれそうだし。というわけのわからない論理で自分に言い訳をしていたのだ。


そもそもそれは「字が汚い人は頭がいい」のことと勘違いしているし、もっと言えば頭が良くて字が綺麗なのが一番いい。


ちなみに僕の字の汚さは体の成長とともに磨きがかかっていったが、勉強することを忘れていたために、頭の良さを手にすることはできなかった。



自分の書く字にコンプレックスがあるせいか、書道家が書くようなあの達筆な字が僕は好きだ。

あんなのが書けたら気持ちいいだろうなと思う。

中には達筆すぎて読めないものもある。


僕の字が上手かったら、むしろ読めなくていい、というような振り切った文字を書きたい。そしてそれを見た人がいいように解釈してくれて、感動が感動を生み、一躍有名になり、情熱大陸とか出たい。


…あれ、字は下手すぎても上手すぎても読めないのか。

下手すぎる=読めない。上手すぎる=読めない。下手すぎる=上手すぎる。


つまり僕は書道家ということだ。




さて、僕が書道家になったところで、実は今回五輪さんのこちらの企画に参加していました。募集期間前にフライングすみません。


いつも読んでいただきありがとうございます。 この文章が、かすかにでもあなたの心を揺らすことができたのなら、僕はとても幸せです。 ぜひまた、いらしてください。