drawing/エッセイ『死を亡くなると言い始めたとき』
「え!死んだの!」
と大きな声が聴こえる。
昨晩、地元のカフェで妻が仕事から帰ってくるのを待っているときにその声が響いてきた。
振り返ってみると、中学生の女の子たちが話している。どうやら、学校の近くで交通事故があったらしい。その車の中にいた方が亡くなったみたい。
「そんなに大きな声で言うことじゃないよ」
周りの友達が声の大きさをいさめる。
「あ、ごめん」
大きな声の出し主は小さな声で言う。
それを聴いた時に思った。いつ人は人の死を「亡くなる」と表現するのだろうと。
自分のことを思い出すと、小さい頃にサスペンスをチラリと見ては「また死んだ!」とか、名探偵コナンを見ては「コナンいるところでみんな死んじゃうよね」と言っていた気もする。
(なんにせよコナンは殺人事件に出会いすぎである)
自分が「亡くなる」という表現をし始めた時、それはたしか小学4年生の頃だった。
小学校の給食の時間、給食当番として給食室にゴハンを複数人で取りに行く。たしか何かのスープだったような気がする。クラス分のスープが入った寸胴を2人で運んでいる時、一緒に運ぶ女の子と何かの拍子に祖父母について話していた。
「ぼくの父親のほうのじいちゃんとばあちゃんはもう死んでるんだ」
って言った時、彼女はこう言った。
「そう言うのは良くないよ。亡くなる、って言うんだよ」
小学4年生の自分は、「へーそうなんだ」って物知りな彼女に妙に関心したのを覚えている。
そんな彼女と5年くらい前にふと偶然会ってその話をしたことがあるのだが、「覚えてないよ」とのこと。
まあそりゃそうですよね。
でも、今でもその時の言葉が耳に残り、学校の廊下をスープの匂いを嗅ぎながら歩く感覚を覚えている。きっと自分にとっては何か大切な記憶なのだろう。
そんなふうに、それぞれの人に死を「亡くなる」と言い始めるタイミングがきっとある。
きっと、「え、死んだの!」と言った中学生くらいの彼女にも、そんな時がくるのだろう。そんなことを伝えてくれる誰かが現れるのだろう。
そんなことをふと感じていたら、「これからの人生に幸あれ」って言葉がふんわりと舞い降りてきた。
「これからの人生に幸あれ」と横から念を送っておく。
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