思い出の距離
むかし、京都の茶山という駅の近くに住んでいたことがある。出町柳駅から比叡山に伸びる叡山電鉄沿いの小さな駅だ。街中をのんびりと走る叡山電鉄に乗ると、京都の市内ど真ん中を走る京阪線や烏丸駅線と比べるとどこかほっとする。
茶山駅は「ちゃやま」と読むのだが、住んでいても「さやま」じゃないっけとふと迷う。江戸時代にそのあたりを茶山と呼んでいただけで、いまは駅名以外に呼び名が残っていないのだ。ちなみに、いまは茶山・京都芸術大学駅という呼称に変わったらしい。しばらくしたら、「茶山」部分は消滅するんじゃなかろうか。
この駅の近辺は、京都の中でもラーメン屋さんが多く集まるエリアである。ザ・京都ラーメンともいうべき醤油ラーメンも多いし、全国的チェーンの天下一品の総本店もあれば、二郎系のこってりなお店もある。ラーメン好きの人であれば、抑えにくるエリアである。
ここに住んでいる頃、僕は日本画を描く学生をしていた。昔から茶道を学んでいた身ではあったけど、何か作品が残る取り組みをしてみたいものだな、と思って始めたのが日本画だった。日々キャンバスと画材と向き合いながら、常に自身の才能の無さに呆れ返りつつもその認識に抗うように生活をしていた。
小さな五畳ほどの部屋にキャンバスを立て掛け、岩絵具や膠の準備をする。準備を終えると、キャンバスに向かう。何か題材がすでに決められているとまだ良いのだが、自由に描くとき、僕はいつも迷っていた。「自分は何を描きたいのか。」そう思っていると、だんだんと「自分は何故日本画を描いているのか。」「自分は何故生きているのか。」と思考が絡め取られていく。そして五畳の世界で悶々とする。森見登美彦さんの小説に『四畳半神話体系』という、四畳半の部屋に住む主人公が不思議な精神世界へ迷走していく物語があるが、それもなんとなく分かるような気がする。京都の数畳ほどの畳の部屋には何かがある。
そんなふうに何も思い浮かばないと、僕はいつも外に出て近所のラーメン屋さんへ出かけた。散歩してラーメンを食べると、その食べている間に何か妙案が浮かぶような気がするのだ。外に出ると、だいたいは天下一品の総本店に行く。混んでいたりお休みの時は、別のお店にいく。あのあたりのラーメン店の店内のあの匂い、あの味、どれも好きだった。
ただ、結局はラーメンを食べてもよいアイデアはなにも思い浮かばないのだ。食べて家に帰って布団にごろりとすると、思い浮かぶ気がしてくる。そこで部屋に着くと寝転がってみる。でも、そのまま寝てしまう。そして朝になる。そんな毎日を送り、作品は出来上がらない。そうして、僕の日本画を描く日々は過ぎ去っていく。
あの時のことを思い出すと、日本画よりもいろんなラーメンと五畳部屋の天井が頭に浮かんでくる。結局その時にいた美大は中退しているのだが、意外と卒業した大学よりも自分の心に思い出を残し、何か大切なものをくれた気もする。思い出に残るものは、得てして時間の長さとは関係がないのかもしれない。
そうだ、また今度ひさびさに茶山に行こう。
またあのラーメンと天井を感じに。