専業主婦がシングルマザーになった-その後⑨ 自由になれた瞬間
弁護士ドットコムは、2014年12月に上場を果たしました。日本初、弁護士兼代表取締役社長による東証マザーズ上場でした。
Authenseに入社した時に元榮から聞いた夢の1つが実現した瞬間でした。
Authenseも社員数が100人を超え、代表とその下の管理職層の2階層の組織構造に限界がやってきました。
私がいた管理部門も部長の下にチームがいくつもぶら下がり、そのチームにマネージャーがいない状況でしたので、1人で見ることが出来る人数や領域を超えていました。
100人の壁と士業の組織化
弁護士は、一般的に個人事業主としての感覚が強く、法律事務所は個人事業主の集まりの組織になりがちです。専門職としてスキルが高いため、それぞれの弁護士のスキルに頼った案件処理を行っていても、事務所として拡大していくことも可能です。
ただ、Authenseは分割当初から組織としてチームとして仕事をする事に拘りを持っていました。
One for Allの強い組織を作るためには、社員一人一人に、Authenseの目標を共有して、自分自身の役割をしっかりと理解してもらい、一丸となって取り組んでいく必要がありました。
そのため、弁護士の組織にも一般企業と同様の体制を導入しました。ピラミッド型の組織を作り、各ユニットや支店ごとにマネジメントを行う弁護士を配置して行きました。
この頃から採用にもかなり力を入れるようになり、Authenseの価値観に共感できる弁護士を見極めて採用するようにしていきました。
もともとルールに縛られるのが嫌いで、自由に仕事をすることを良しとしてきた私でしたが、マニュアルや行動ルールがなければ、仕事が進まず、不安を感じる人達がいる事を知り、組織が一定の規模を超えてきたら、どんな人でも活躍できる土台が必要なのだと感じ始めます。
今までのAuthenseのメンバーは、言わなくても勝手に自己成長していくメンバーばかりだったので、「元榮さんは、あのあたりを目指してるんだよね」「それなら、自分はこれをやればいいのかな」と察して進んでくれるメンバーばかりでした。でも、人が増えてくるとそうも言ってられません。
法律事務所を組織化して行くには、弁護士部門とパラリーガルやコーポレート部門をイコールパートナーとして、並列に組織を作る事もとても大事な事でした。
多くの法律事務所は、弁護士がピラミッドの上層部を占め、その下にパラリーガルや管理部門がある、そんな組織が多いのです。ただ、弁護士以外の専門職も同じプロフェッショナルとして相互に尊重する事がAuthenseが創業時から大切にしてきた価値観でした。
人事制度の改定、業務フローのマニュアル化が進みました。また、案件の品質を維持するため、お客様相談室やクウォリティマネジメント室による品質管理を横ぐしで行う体制も整えていきました。
パパママカフェ
私が育休から復職して1年ちょっと経ったあたりから、女性社員の妊娠出産育休が増えてきました。
育休復職後最初の1年の定着率を上げるために、何をするのがいいのか?私は考え始めていました。
Authenseは、女性の社員比率が6割近い状態でしたので、スキルを身に着けた女性社員がその後継続して勤務してもらう事はこれからの組織にとって必要になってくると思っていたからです。
また、弁護士も男性が全体の8割近くを占める職種です。経験を積んだ優秀な女性弁護士は、とても大事な存在でしたので、子供が出来ても仕事を継続していける仕組みが必要でした。
そこで、法律事務所としては珍しい「弁護士の時短勤務制度」を導入しました。法律事務所としては珍しい仕組みでしたので、キャリアを積んだ女性弁護士の採用に非常に効果的で、とても優秀な女性弁護士を多数採用する事が出来ました。
新卒で働き始めた時は、夜遅くまでハードに働いてこれても、子供が産まれてもその生活を続けられる人は稀です。
仕事と育児を両立するというただでさえ、サバイバルな状況です。一部の猛者だけが生き残れる仕組みでは、組織の中で女性が仕事を続けていくことは難しい。あらゆる人が継続できる仕組みや制度が必要なのだと思います。
出産や育児で長期に渡って仕事から離れてしまうと、仮に再就職してもキャリアダウンしてしまう事が多く、キャリアを築く事が非常に難しくなります。そうすると、子供の事、親の介護、次から次へと起る出来事に、常に女性が対応する事になり、いつまでたっても女性は社会的地位も収入も上げる事が出来ないのです。
とはいえ、出産育児で2年近く休業し、復職後も時短勤務です。やっと復職しても、子供が熱が出たので休みます。という女性社員を必要だと感じるのは難しいことです。
復職して活躍する女性が増えていく事で、企業やそこで働く人達の見方が変わって行くのですが、それには時間がかかります。
私が出産育児復職と経て、最も辛いと感じた事は、「理解してくれる人が周りにいなかった」事でした。男性も女性も子育てをしながら働いている人がいなかったため、それは当然の事なのですが、やはり理解してくれる誰かがいたら、もう少し違ったかもしれないと思いました。
そして、それが経営層にいれば最高です。
そこで、子育て中(これから子育て予定)のパパママを集めて、「パパママカフェ」を毎月開催する事にしました。
会社のランチの時間を利用して、皆で集まり、仕事の事、子育ての事を話をする場です。
復職者が増えてくると、いろんな年齢の子供を持つパパママが増えてくるので、「あの時はこうだった。同じだね」「その大変さは今だけで、すぐよくなるよ」「自分もあの時は辛かった」「これからこういう事が起こるから、準備したほうがいいよ」など様々なアドバイスが聞ける場になりました。
カフェの中で、皆の話しを聞きながら、子供を育てながら仕事をするママ達には、色々な考え方や価値観がある事に気が付きます。
みんながみんなキャリアを求めているわけではないし、キャパシティも体力もストレス耐性もみんなそれぞれであり、同じやり方で走れるものではないのだという事を。
ロールモデルにはバリエーションが必要なのだと言う事を。
ロールモデルって何だろう
初めての子持ち社員
初めての育休取得社員
初めての女性管理職
Authenseで全て初めてづくしだった私には、ロールモデルはいなかったし、必要だと感じた事もありませんでした。自分の進む道は自分で切り開きたいタイプだったからです。
自分がやりたい事を実現するために、全力で進むうちに、いつしか自分がロールモデルと言われるようになっていました。
ただ、私は、誰かのロールモデルになろうと考えて仕事をして来た事は一度もありませんでした。
「桐生さんみたいに働けないです」
「私には無理です」
と言われる事もあります。
同じ人間じゃないんだから、同じ道を進む必要はないと思うのです。
ロールモデルと言われる側になった人も「ついていけない」と言われたからと言って、その人に合わせて自分の働き方を変えなくったっていい。
ロールモデルという言葉が一人歩きして、「そうならなければ」「こうしなければ」「そんなの私には無理」とプレッシャーになってしまったり、ブレーキをかけてしまったりしたら意味がないと思っています。
自分の人生は自分で切り拓くもの。自分に合ったロールモデルを自分で創り上げて欲しいと思うのです。
代表室のチーム化
私は現在、Authense社会保険労務士法人の代表とAuthense法律事務所のマネージングディレクターを兼務しているのですが、実は、もう一つ異質の肩書があります。元榮の代表室室長です。
Authenseに入って以来、管理部門のお仕事は一通りなんでもやってきた私でしたが、これだけは、遠慮したいと思っていた職種がありました。元榮の秘書です。
代表の元榮には、私が入社した時から個人付きの秘書がいたのですが、とにかく、元榮の活動の幅広さと24時間365日動き回るそのパワフルさ、そして、その思考のハイレベルさに、ついた秘書はみな悲鳴を上げます。
元榮の最上志向のこだわりと、業務の多さと幅広さ、24時間体制について行ける秘書が少なかったのです。
私も人事として、採用に関わっていたので、元榮の秘書採用の難しさと、その後の定着の難易度を理解していたので、元榮のパフォーマンス最大化を考えても、何とかしなければならないAuthenseの課題だと思っていました。
そんな中、元榮の秘書が急に退職してしまい、誰も秘書がいない状態になってしまいます。
元榮は、1日たりとも秘書がいない状態は考えられません。今回は、採用も間に合わない…
「なんとかして欲しい」と言うオーダーが入りました…
悩んだ私は、Authenseの長年の課題を解決すべく、重い腰を上げることになりました。
とりあえず、誰も秘書がいない状態です。
そして、何をやっていたのかもほぼ分からない状態でした。業務を理解するには、自分が秘書をやるのが手っ取り早く、秘書業務を止めない最善の方法でした。
まずは、業務の謎を解明すべく、寝る間も惜しんで、徹底的に業務を分解しました。
それと同時に、育児明けで復職が決まっていた、元総務の女性に電話をして「復職したら、秘書をやって欲しい」と頼みました。彼女の事は育休前からよく知っており、人物的にも信頼出来るし、この難題を乗り越えるのに最適だと思ったからです。
私は、他に役割があり、ずっと元榮の秘書をやる訳にはいかなかったので、業務を最適化してチーム化を進め、手を離す予定でした。
個人付きの秘書からチームへの体制変更です。
そのチームの一員に、育休復職直後の時短の社員を登用したのは理由がありました。
経験上、時短勤務のママ社員は
マルチタスクが得意
不測の事態に対する耐性が強い
あらゆる事を受け入れる許容力
短い時間内にやり遂げる生産性の高さ
こんな特性が秘書業務にフィットすると考えたからです。
元榮の秘書は24時間体制だったので、フルタイムで残業をいとわない社員じゃないと成り立たないと言われ続けて来ました。
今回、時短のママでチームを構成する事で、社内での時短勤務のママ社員の認知度と評価を一気上げる事が出来ると考えました。
課題となるのは、休んだ場合のフォロー体制と時間外や休日の対応でした。
チーム内で全てのタスクを共有する仕組みを作る事と、徹底的な先読みと事前準備で、秘書業務に起こりがちな突発的な対応を8割削減する事を目標にしました。
突発的な業務の割合が増えれば増えるほど、仕事が時間内に終わらなくなり、時間外や休日の対応が増えてしまうからです。
時短のママ社員のチームにとって、時間外と休日対応を極限までなくす事は、チーム存続のために必須でした。
ここまでやった上で発生する時間外と休日の対応は、私が引き受ける事で、時短勤務のママだけの代表室チームが機能することになるのです。
現在、元榮の代表室は、私を除いて、3人の時短のママで構成されており、元榮からは「史上最高のクォリティのチーム」だと評価されています。
やりたい事をやり切るために自分の枠を広げる
最後に、社労士の資格を取った時のお話しをしたいと思います。
長くHR領域の仕事をしていたこともあり「資格を取ってみようか」という考えは少なからず頭の中にあったのですが、「やらない理由」「出来ない理由」が頭の中で多数うごめいて、なかなか最初の1歩を踏み出す事ができずにいました。
その間に、仕事はどんどん新しい事が増え、3人目は産まれ、どんどん「出来ない理由」が増えていきました。
なにより、私は常に「もう限界」というギリギリラインのところで日々走っていたので、これ以上、自分の枠を広げられる自信もなかったのです。
仕事が落ち着いたら
子育てが落ち着いたら
でも、この「落ち着いたら」はくせ者で、落ち着く時なんてそうそう来ないのもです。
私が社労士の資格を取る事で、Authenseのブランドに「社労士」を加える事が出来、自分自身も社外に対するサービスを提供する事でキャリアの領域を拡大出来るはず。
ある時、私の背中を押す出来事があった事をきっかけに「今、やろう」と決めました。
自分の枠を広げないと、新しいチャレンジは出来ないから、筋肉痛覚悟で飛び込む事にしたのです。
調べたところ、社労士合格には約1000時間の勉強時間が必要とのこと…
それを、試験日までに捻出するには1日3時間近くの勉強時間が必要でした。ワークママにとっては、難関です。普通に考えて、今の毎日の生活の中に、2時間の余裕はありませんでした。
私が資格試験の勉強をしたタイミングは、一番下の息子がまだ保育園、次男が中学受験真っただ中という2年間だったので、隙間時間の確保が最も難関でした。
平日は、通勤時間、ランチ時間、夜寝る前
休日は、家事が終わった後の午後の時間、家族で出かけた先で家族が遊んでいる時間、息子の模試の待ち時間…かき集めた隙間時間でなんとか1日1〜3時間を生み出す、こんな感じでした。
そしてスタートした勉強ですが、暗記がやはり苦戦。特に「何日以内」「何日前」「何日以前」など、背景に意味がない暗記がかなりつらい…
1年目の試験日直前には、脳の記憶力の限界を超え、覚えた知識が混乱状態に…
そして、1回目の受験結果は、総合点は合格でしたが、科目足切りにあい、1点足りなくて無念の不合格でした。社労士は捨て科目を作れない試験なんです。
明らかに勉強時間も不足していました。
仕方ないと落ち込む前に気持ちを切り替えて、翌日から勉強を再開。2年目は記憶の混乱もなく、比較的余裕のある勉強が出来、合格基準を大きく超え合格出来ました。
合格後は、Authenseブランドに社会保険労務士法人を加える事が出来、それ以降、私は社外へのコンサルティングサービスを提供し始める事になりました。
そして、自分の限界の枠を広げる体験は、その後も私の仕事において、とても有益な経験になりました。何かを諦める事なく、自分でやりたい事を選択できるようになったからです。求めていた自由が手に入った瞬間でした。
最後に…
自分の人生は、自分で選択して自由に生きて行きたい。そう考えて、歩んで来た15年。
「そんなに頑張らなくていい」良く言われた言葉です。疲れている時は、そうだな…と受け入れたくなる言葉でした。
でも、たった一度の人生です。怖がらずに自由にやりたい事に挑戦して、その先の未来を見てみたかった。赤いBMWを買った時から、走り続ける冒険は始まっていたのだと思います。
今、私は自由で、自分の人生の選択に後悔はありません。例え、辛い事があっても、誰のせいでもない、自分の意思で選んだ選択だからです。
ずっと封印していた過去を、noteを通して言語化出来たのも「もう自分は大丈夫、自由になれた」と思えたからだと思います。
私の人生再構築をずっと支えて見守ってくれたAuthenseに心から感謝し、恩を返していきたいと思っています。
長く連載して来た「専業主婦がシングルマザーになったーその後」のお話しは、これでおしまいです。
このお話しが、人生に迷う誰かが最初の一歩を踏み出すための勇気に、少しでもお役に立てると幸いです。
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