専業主婦がシングルマザーになった-その後⑤ 新しい出会いと再婚
Authenseに入社して、2年目に突入しました。激動の一年をなんとか乗り越えて、全面移転を果たした後、Authenseは引き続き人員を増やしていました。案件数はどんどん増え、採用が追いつかない中、皆、不夜城のように働いていました。
戦友との出会い
ここで、当時の部下だった1人の女性のお話を少ししたいと思います。私は管理部門第一号の社員としてAuthenseに入ったのですが、私の業務が増え、さすがに持ち堪えられなくなったタイミングで、2人目の社員を採用しました。管理部門の経験はまだほとんどない20代前半の女性でした。
彼女が入社してから、私がやっていた仕事を少しづつ彼女にお願いし、管理部の業務を2人で分け合ってきたのですが、私は常に電話しているか、何かに追われているか、どこかに行っているかで、ほとんどまともに引継ぎのような事はしてあげられず、先輩としても上司としても役割を果たしていない状態でした。
それでも彼女は、私を慕い、もくもくと1人で仕事を覚え、分からないことがあれば、私に聞く前に調べて解決し、課題があれば工夫し、効率化し…とにかく自走して成長していく子でした。私は彼女の力に支えられ、大変な時を乗り越えてきました。組織的には、上司と部下という立ち位置でしたが、彼女とは創業期のAuthenseをともに戦い抜いた「戦友」という方がしっくりきます。
だいぶ経ってから、彼女が「桐生さんはメモを取りなさいと言わなかったし、メモを取らない事を注意したりもしなかった。そこが良かった」と言う話しをしました。確かに、彼女はメモをほとんど取らない子でした。普通は、新人がメモを取らないと注意されるみたいです。
実は、私もあまりメモを取らないタイプだったので、気が合ったのかもしれません笑
最初の部下が自己成長していくタイプだったこともあり、私は個性尊重・放任主義のマネジメントスタイルをその後維持していくのですが、沢山のメンバーを抱える事になるにつれ、個人個人に合わせたカスタマイズしたマネジメントが必要であることを、後に学ぶことになっていくのです。
子供はママの出世なんて望んでない
入社2年目、社員数も100人を超えたため、組織化を急速に進めていきました。50人の壁も超えていないうちに、100人の壁にぶつかっていて、あらゆる問題が起こっていたからです。
1人社員から始まった私の部署は、管理部と呼ばれるようになり、メンバーも徐々に増えて行きました。人事経理、総務、システム、広報、秘書、マーケティング…とチームが出来、メンバーが増えて行きました。
私は、マネージャーに昇格し、プレイングマネージャーとして、実務をこなしながら、メンバーのマネジメントをすると言う立場になりました。そして、経営会議のメンバーとなり、Authenseの経営判断に関わっていくようになっていました。
マネージャーになった事は、今までの仕事ぶりが認められたからであり、私はとても嬉しい気持ちでした。
ある日、夜遅くに帰宅して、夕ご飯を食べている私に、長男が「ママは会社で偉いの?」という質問をしてきました。「偉くはないけど、マネージャーになったんだよ」と息子に話しました。「へぇ、ママすごいね」と息子が返します。
それを横で聞いていた母が「子供は、ママが偉くなることなんて望んでないのよ」と私に言いました。私は、返す言葉もありませんでした。そして「そんなことはわかっているよ」と一言つぶやきました。
当時、仕事の事ばかり考えていた私。帰宅も遅く、平日はほとんど子供達と過ごす時間はありませんでした。その陰で、母は2人の息子の世話で追い詰められていたんだと思います。今となっては、その気持ちや状況が痛いほどわかります。
でも、その言葉は、私にとってとても悲しい言葉でした。いつか子供達が、ママの仕事を誇りに思ってくれる日が来るかもしれない。そう信じて「ごめんね」と心の中でつぶやくのが精一杯でした。
家庭や子供のために、仕事を調整するのが当たり前で、ママは自分のやりたい仕事やキャリアを諦めて、子供との時間を作るのが正しいのでしょうか?きっと正しいのだと思います。
でも、私は一度諦めた自分の仕事とキャリアをどうしても諦めたくなかったのです。
その後、長きに渡って「理想の母親像」が私を苦しめ続けました。
子育てとキャリア、どちらも諦めない生き方は出来ないのだろうか?どうして、どちらかを選ばなければならないのでしょうか?
そして、どうして諦めるのはいつも女性なのでしょうか?
キャッチボールと夫との出会い
仕事に奮闘する母をよそに、子供達は順調に大きくなっていました。長男は幼稚園の頃の大泣きはどこえやら、小学校ではお友達をすぐに作り、楽しく学校に通っていました。
その頃、次男は「自分のパパって誰なんだろう」という疑問を口にするようになっていました。
私の父の事は「ジジ」と言って慕っていましたが、色々聞くと、ママのパパらしいという事が分かりました。また、当時一緒に住んでいて、大好きだった私の弟の事がパパなんじゃないか?と思っていたのですが、弟は途中で結婚し、家を出ていってしまいました。この人もパパじゃなかったと分かります。幼稚園でお友達がパパを自慢するのを見て「自分のパパはどこにいるのか」と質問するようになりました。
週末になると、私は、子供達を近くの公園に連れて行ったりしていましたが、週末の公園は家族連ればかり。
長男にキャッチボールをしたいと言われてグローブを買ったものの、キャッチボールなんてほとんどしたことがない私は、息子とボールを投げあっても全然上手く出来ませんでした。
そんな時、弁護士ドットコムの社員だった今の夫と、何かの話の時に、子供の話になり、キャッチボールが全然上手く出来なくて困ってるという話をしました。そうしたら、「じゃあ、公園で一緒にやってあげるよ」と言うではありませんか。
彼は私の6歳下でまだ20代でした。
とてもうれしかったのですが、内心不安も半分ありました。子供達に変な期待を持たせてしまうかもしれないと…
でも、思い切って一緒に公園に行ってもらう事にしました。その日は夕方暗くなるまで公園で遊びました。子供達は大喜びでいろんな遊びをせがんで転げまわっていました。
そんな風景を見ながら、もう一度こんな風に家族一緒に過ごせる日が来るといいなと思いながら、その日は終わりました。
私はシングルマザーになった時、もう結婚はしないだろうなと思っていました。子供が2人もいる事を考えると、子供達含めて受け入れてくれる人がいるとは思えず、仮にこの先、自分に好きな人ができたとしても、子供達の父親になってもらう(再婚)事は、出来ないと思っていたのです。
父の猛反対
その日を境に、私達はたまに会うようになっていました。子供達ともたまに公園で遊んでくれたので、子供達は、面白いお兄さんとして、彼を慕うようになっていました。
その後、自然と付き合うようになった私達は、子供達を連れて、色んなところに遊びに行きました。
週末になると、遊びに出かける私達を見て、最初は我慢していた父の怒りが爆発します。
父は、そもそも私が再婚すると言う事に非常にネガティブでした。
実家に住んで、念願の仕事もして、子供達もジジババに慣れて、幸せに暮らしている。今の安定した生活を壊すような事はあり得ないと思っていたのだと思います。安定した目の前の生活があるのに、あえてリスクのある道を選ぶ必要はないと言うのが父の気持ちでした。
確かにそうです。
子供達は、一度父親を失っているので、もう一度失う事は相当のダメージになるはずです。そして、私自身も、もう一度何かを失う事は恐怖でした。
「結婚するなんて言っても、結婚式には出ないからな」と父から言われました。
娘と孫がもう一度家族を作る事が出来たら、もっと幸せになれるかもしれない。いつまでも自分達のところにおいておくより、再婚して上手く行くなら、その方が幸せかもしれない。そう思う反面、上手く行かないリスクを考えると賛成出来ない。両親は、私達のどん底の時期を見てきたので、大きな葛藤があったのだと思います。
そして、実際私の頭の中でも同じ葛藤がぐるぐる巡っていました。
再婚
そんな最中、私達が付き合っている事が、代表の元榮にばれました…
ある日、個室に呼ばれて、付き合っているのか?真剣なのか?と聞かれました。社内恋愛でしたし、狭い世界です。別れるような事があれば、私が退職することもあるかもしれません。秘密保持も心配です。
その時点で、結婚する事になっていた訳ではありませんでしたが、真剣である事と仕事上の秘密保持は守る事を話しました。
「真剣ならいい」というのが元榮の回答でした。
付き合い始めて1年が経とうとする頃、私達は結婚する事を決めました。
まずは、彼の両親に会いました。私は、自分の両親より、彼の両親の反対が心配でした。6つも年上でしかも子供が2人もいる女性との結婚を簡単に許してくれると思えなかったからです。
ところが、彼の両親は、息子が選んだ人ならいいよとあっさり受け入れてくれました。子供達の事も本当の孫のように接してくれました。
結婚してからも、私は仕事に没頭し、決して良い嫁ではなかったと思いますが(今でもですね)、干渉せず、私の好きにさせてくれた彼の両親には、感謝しかありません。
さて、次の関門は、私の両親です。
父は激怒中で、そもそも会ってもくれない可能性もあります…
挨拶用に、虎屋の羊羹を買い、彼の服も一式揃えました笑
実家の近くのお寿司屋さんで会って食事をする事になりました。父は来ないんじゃないかと不安でしたが、来てくれました。
緊張の中、挨拶をして、結婚したい事を伝えました。不安はあるかもしれないけれど、子供達含めて生涯守って行くから許して欲しいと。
父と母は、結婚を許してくれました。
内心葛藤はあったと思いますが、私達の未来を信じて新しい家族を作る可能性にかけてくれたのだと思います。
その後、半年間の準備期間を経て、私達は再婚したのでした。
私達の結婚と同時に、Authenseは、Authense史上最も大きな経営判断となる「事務所分割」が進行するのですが、それは、次のお話しにしたいと思います。
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