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専業主婦がシングルマザーになった-その後③ 再就職

幼稚園最後の運動会

実家に戻ってきて、年中さんの途中で幼稚園を転園した長男。新しい環境を受け入れるまで数カ月泣き続け、実家でのじじばばとの生活もなかなか受け入れてもらえませんでした。

ただ、時間とともに新しいお友達ができ、じじばばとの生活にも慣れ、年長さんになるころには、以前のような笑顔を見せるようになり、お友達もできてきました。

そんな年長さんの秋に幼稚園最後の運動会がありました。運動会最後の大イベントは、クラス対抗リレーです。
長男のクラスは途中トラブルがあり、長男がバトンを受け取った時には、なんと最下位でした。

バトンを受け取った長男は、必死で走って走って、どんどん前の子を抜いていきます。そして、なんと1位でゴール!

運動会

必死で走る姿に「本当にこの1年間よく頑張ったね」と思ったら、涙がとめどなく流れて、それを周りに見られないように、タオルで拭きながら、最後まで応援しました。

父親がいなかったから、パパとの親子競技には、私の2人の弟が代わる代わる出てくれて、辛い思いをしないように、盛り上げてくれました。

そんなに運動が得意ではない息子。
それ以来、リレーで1位になる事はなかったので、最初で最後の1位の思い出となりました。

息子の走る姿を見て、そろそろ仕事をしても大丈夫かもしれないと感じ、息子が卒園する4月を目指して、私も就職する事を改めて心に決めたのでした。

赤いBMWを買った訳

ペーパードライバーを克服し、車の運転ができるようになった私。子供達と私の車が欲しいそう思うようになっていました。
以前乗っていた車を引き取る事もできたかもしれませんが、新しい出発の証として、私は新車を購入する事にしました。

街道沿いのBMWのショールームに展示してあった車。ミニサイズでしたが4ドアで、ミニバンタイプ。そして赤。

一目惚れでした。

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独身時代から少しづつ貯めていた自分の貯金を使って購入する事にしたのです。

専業主婦でシングルマザー。
まだ、仕事もしていない状態。新車のBMWを買うなんて正気の沙汰ではありません。それに、はたから見たらとても不釣り合いだったと思います。

父は、自分が少し出そうか?と言ってくれました。でも、これは、自分で買うから意味があるものでした。赤い車は、世間からのかわいそうと言う視線から子供達を守る一つの道具でした。そして、私が初めて自分で所有する資産としてとても意味があるものでした。

自分の人生を自分の力でやり直し、人生の主導権をとり戻す。後戻りはしない。そんな固い決意で自分を追い込むために思い切りました。

いつか、この赤いBMWに釣り合う自分になれる日を目指して。

子供達は大喜びでした。長男も以前乗っていた白いミニバンじゃないけれど、これがママと自分たちの車なんだと喜び、私たちは、失った1つの物を取り戻した気分でした。

もう後戻りはできません。私は、その年の終わりに就職活動を開始しました。

就職活動

12月に入ってから、私は徐々に就職活動を開始しました。過去に父から反対されて、一度は見送った就職。でも、今回は、どんなに反対されても就職先が決まったら、働くつもりでいました。

就職に際して自分の中で決めた条件は…
土日祝日お休みで、昼間の仕事。そして事務系の仕事で正社員。残業少なめ。親は私1人なんだからと…安定した大きめの企業希望。
こんな感じでした。

今思うと、とんでもない世間知らずです…

履歴書と職務経歴書を作り、就職活動をスタート。
採用媒体をチェックして希望に合う求人にどんどん応募し、派遣会社にも同時に登録。ただ、正社員希望だったので、派遣は紹介予定派遣限定で探しました。

何十社と応募しましたが、書類選考で落とされて、全く進めません。
専業主婦7年というブランクと小さい子供が2人のシングルマザー、これだけで不採用の理由に十分でした。
人材会社の方からは、「せめてブランクが2年以内ならよかったんですが…」と今更どうにもならない事を言われる始末。

なんとか面接まで進んだ企業からも、最終的には、そのブランクと小さい子供がいる事が理由で不採用になりました。
年が明けてもその状態は続きます。

不採用

7年間の私の生活は、社会において何の意味も価値もない時間だったのか。そんな意味のない時間を私は過ごしてきたのか。履歴書の空白の期間を見て思いました。

価値のない人間として、どこからも必要とされない悔しさと社会から切り離された孤独感で心は大きく傷ついていきました。

2人の子供を育てて、家事をして来た7年間。
その時間を価値のない物だと自分が思ってしまったら、子供達の存在も否定するような気がして、専業主婦だった期間をネガティブに捉える事をやめようと決めました。

確かに、事務的なビジネススキルや知識は現役で働いている人に今はかなわないかもしれない。
でも、家事や育児で養われた人間力やマルチタスク力は、引けを取らないはずだし、何より、最後までやり切る覚悟が今の私にはある。

そう思い直して、改めて、自分は仕事を始めてどんな事がしたいのか?を考え始めました。

仕事をして、社会から必要とされたい。
給与がいくらなのかより、必要とされる事が大事。
自分の可能性を試したい。
たくさんの事に挑戦したい。
自由に裁量を持って仕事がしたい。
経済的に完全に自立したい。

それなら、大手の一般事務職ではなく、ベンチャー企業でフラットな競争の中で働いた方がいいんじゃないか?その方がスリリングで楽しいのではないか?

そんな思いに行きつき、就職活動の方向性を少しだけ変えます。
そして、今の私という人間を受け入れて必要としてくれる企業で働きたいと思うようになりました。

そんな時に目についたのが、Authenseの求人でした。

法律事務所で管理部門の社員募集
正社員で、六本木勤務か…

気になって早速応募したところ、面接の案内が来ました。

Authenseの代表との出会い

一次面接は、Authenseの顧問税理士の先生が面接官でした。
当時のAuthenseには、管理部門の社員がいなく、誰も面接が出来ないと言う事で、税理士の先生に面接を頼んだようです。
税理士の先生からは、Authenseでお願いしたい仕事の簡単な説明がありました。
とりあえず、管理部門の社員が誰もいないから、管理部門の仕事をやってほしいというかなり大まかなオーダーでした…
一次面接はそれで終了でした。税理士の先生なので、簡単な人柄とスキルチェックがメインだったようです。

そして、一次面接通過のご連絡。
次は、代表に会って欲しいと。

2次面接は、Authenseの代表弁護士元榮との面接でした。元榮との面接は、今まで受けた面接とは全く違いました。
私の今までの人生について、どんな価値観で、どんな生き方をしてきたのか?履歴書にこそっと書いた大学時代のアルバイトの活躍はどんなだったのか?
なぜ、今働きたいのか?

2時間近くかけて、色々な話しをしました。
私も自分の思いや考え方を話し、これから先何をしたいのか未来を話しました。
元榮もAuthenseで何を実現したいのか?Authenseの夢は何か?熱烈に語ってくれました。

当時のAuthenseは、まさに創業期。従業員数30名ほど。弁護士ドットコムも利益が出ていない状態で、数名の社員しかいない。そんな状態でした。
でも、元榮は輝く未来を見ていて、Authenseが必ず成功すると信じていました。

常に目は真っすぐ未来を見ていて、ポジティブで、諦めない。当時の元榮に抱いた印象です。
この印象は今でも変わっていません。

しばらくして、内定の連絡が来ました。
4月から来て欲しいと!

実は、同時期にもう一社内定が出ていました。
Authenseより安定した大手企業でした。ある意味、当初希望していた条件に近いのはこっちの会社でした。

4月に長男の入学式を控えていた私は、両方の企業に、4月に入社する場合、長男の入学式だけは1日休みをいただきたいと話しました。
Authenseは「もちろんOK」と返事。もう一社は「入ったばかりで困るからダメ」という返事でした。

これで、心は決まりました。
子供がいても出来る限り休まず働く覚悟はしていましたが、生涯に一度の子供の小学校の入学式に出る事を許してもらえないのであれば、長く働き続ける事は出来ないと思ったのです。
この子達の入学式に出れる親は私1人なのだから。

挑戦

さあ、いよいよ再出発です。
給与は、新卒の頃に逆戻りでした。
でも、気になりませんでした。
結果を出せば、報酬は後から必ずついてくると思ったからです。

自分の人生の主導権を取り戻し、0から再構築しよう。そして、経済的に完全に自立して、自由を手に入れる。
そんな決意を胸に、Authenseの扉を叩いたのでした。



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