変化、妬み、正しさ、漠然とした不安

将来への不安、それは大きな足枷となって荷物になって、私を毎日毎日追い詰める。

社会人になって死を考えるほど仕事で挫折し、それをようやく乗り越えた時、今度は「結婚」の2文字がとても大きな壁なのだと薄々気付いた。

そういう認識は社会に出れば誰しも芽生える物であるけど、うちは特にそうだった。母親が「女が独身で生きていくのには絶望しかない」と、姉によく言い聞かせていたのを、傍でずっと聞かされていた。大人になってから特に。

結婚を終えたら今度は子供を授かることがノルマになる。それを終えれば2人目を産むこと。女と男、1人ずつが好ましい。

こんなことが会社にいると嫌でものしかかってくる。

こんな私でも受け入れてくれる、優しい人がいい。かっこよくなくても。子供は女の子2人がいい。

昔の純粋な私はこんな考えで、良くも悪くも他人に過度な期待はしなかったし、ふわりとしていた。

ある程度男性が自分を女として優しくしてくれることに慣れてしまった私はどうか。

周りをみて結婚に取り憑かれた私は。

ある程度かっこいい人、私の姉を受け入れてくれる人、次男、別居、家は近くて、高卒の現場職、浮気はしなくて、私が病んでる時に優しく話を聞いてくれて笑顔をもたらしてくれる人。 子供を産めなくても愛してくれる人。

結婚は25歳でして、子供は26か27で産みたい。男の子と女の子1人ずつ。 出来れば今の職場を続けたい。 


とまぁ、こんな理想ばかり高い低スペックな自過剰人間に成り下がってしまった。


良くも悪くも、人に感化されやすい。


コロナの中で人との関わりが薄れ孤独が恐ろしい私はインスタを始めたり、昔の友人を片っ端から誘ってみたり。

良かったこともあったし、急激にこんな自分より変化して結婚に近付いてるみんなを見て死にたくなったり。


私が姉のことで思い詰めたり、自分のことで死にたくなったりした時、みんなは着実に前に進んでいた。

こうやって文にするのも纏まらない。


結婚の話を聞いて不安になり、生理不順な私は不妊になるかもしれないと言われ子供も出来ないかもしれないと怖くなり、体力がなく仕事が特別出来る訳でもない私が今後、独身で今の会社にいつまでいれるのか。

20前半なのに人生を謳歌するどころか毎日消えたいと願っている自分に、今出来ること。


纏まらない文で、自分用に、少しづつ綴る。続かないかもしれないし、別の話題になるかもしれないけれど。

同じように消えたいと願っている人に、それでも何とか生き延びようとしている人、近いうちに死のうとしてる人、どちらでもない人、皆さんの意見を聞いて、自分を探っていく。


多分続く。