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オリンピックの開会式が最高だった話〜理屈よりも良識〜

オリンピックの開会式が最高だったという話をしたいです。

私は開会式を家で一人で見ました。

4時間ほとんど泣きっぱなしでした。それだけ素晴らしい式典だったと思います。

本当に悲しいニュースが多かった

開会式前までは、オリンピックのニュースといえば悲しくて辛いものばかりでした。

コロナに蝕まれた社会の中で、あらゆる物事の優先順位が天秤にかけられるようになっていき、何度も開催の意義が問われてきました。

それは政治の観点からも、経済、医療、人権、文化、あらゆるスポーツと関係ない方面からの批判も招きました。

選手の個人SNSに対して「オリンピックの開催を止めるように、働きかけて欲しい」というコメントが寄せられているということを聞いた時は本当に悲しい気持ちになりました。

コメントをした人はそれが良かれと思って言っていて悪意がないのは分かるのですが、それは間違いなく選手が考えるべきことではありません。

選手にとっても関係者にとっても、開催するのか/しないのかの狭間の中に置かれるストレスは相当なものであったと思います。目指すべきゴールが分からない状態でピッチに立たされて、それでも走り続けるということがどれだけ苦しいか想像するだけでも辛いです。

そして開催直前までその空気感は払拭できず、開会式自体も世の中からしたら見切り発射的に行われた感は否めません。それまでのビルドアップもないし、ついに!という感じもない。

天気は快晴でも、多くの人の心模様はモヤモヤしたままだったのではないでしょうか?

それでも、やったんです開会式。そしてそれは素晴らしいものだったと思います。

孤独のランナー

これだけ揉めに揉めたオリンピックでしたから、演出の内容もおそらく当たり障りのない、批判を避けるような妥協的なものになってしまうのではないかと思っていました。

しかし、実際には「孤独のランナー」をテーマとして、コロナで変わってしまった世の中を希望を持って走り続けるという、強いメッセージ性が感じられる始まりでした。

「コロナをなかったことにはしない」強い姿勢で、これが特別な五輪の始まりであることを告げているようで心から安堵と共感を得たのを覚えています。

コロナは一旦忘れてとりあえずやっちゃおう!という見切り発射ではなかった、ずっと色んな気持ちを我慢してきたのは自分だけじゃなかった、という気持ちでした。

そしてちらほらと知っている芸能人が登場し、その度に日本人として誇らしく思うことができました。

入場行進

選手入場のシーンはおそらく初めてフルで見たのですが、最初から最後まで全く飽きることなく見ることができました。

限られた行動範囲からずっと出られていなかったからか、次々と読み上げられう国名を聞いているだけで世界一周をしているようなワクワク感がありました。

これだけたくさんの国、人種、伝統が存在し、これだけ多くの人が地元東京に集まっているということを実感し、ゾクゾクしました。そしてただ歩いているだけでも、選手一人一人はとてつもなく輝いて見えました。

Faster, Higher, Stronger, Together

入場行進の後は今回新たにされた、スローガンが掲げられました。

Faster, Higher, Stronger, Together
より速く、より高く、より強く、ともに

追記された"Together"という言葉の意味はこの後のバッハ会長のスピーチでも"solidarity"という言葉で繰り返し強調されます。

これまでスポーツ競技は勝利至上の考え方が根本にありました。その固定観念を変えうる競技として今大会からはスケートボードやスポーツクライミング、BMX、サーフィンなどが採用されています。

"Together"という言葉にはこれまでのスポーツが築いてきた人類の肉体と精神の進化の次なるステップを象徴している気がしてならないのです。

そして、もちろんそれははじめの「孤独のランナー」が現す長いコロナとの戦いに勝つための糸口を示す言葉でもあり、今だからこそ、今年の五輪だからこそよりその意味が際立ち心に響くものがありました。

橋本聖子さんとバッハ会長のスピーチ

式典という場におけるものであったとしても、当事者本人が直接語りかけてくるスピーチはとてつもなく強力であることを実感できるスピーチでした。

これまでの過程において多くの責任者がSNSを含めたメディアや世間からの批判を受けて辞めています。そしてその度に「倫理観」や「正しさ」というものがあまりにも好き勝手に、乱雑に、言葉の刃として振り回されてきた気がします。

責任者の言動が許されるべきであったと言うつもりはありません。ただ、メディアとSNSが情報を伝える媒介として存在する以上、そこには必ず当事者本人の意思や事実はわん曲した状態で私たちのもとに届きます。

そんな何が正しくて、何が本当か分からなくなってしまっていたモヤモヤの中で、真っ直ぐと直接、私たちに語りかけるお二方のスピーチは、素晴らしいものだったと思います。

「つながり」を感じることができた

7月23日に行われたこの開会式を通して、オリンピックとは、言葉では表現できない大切な何かを、我々の未来に受け継いでいくためのものなのだと感じました。

「復興五輪」「ウイルスに打ち勝った証」「団結の象徴」と、政治的に様々な言葉で語られてきた2020オリンピック。それらの言葉は正直世界の人々には届いていなかったでしょう。言葉だけでは共感を生むことはできなかったでしょう。

しかし開会式を実際に目にしてみて、試合で全力を懸ける選手たちをみて、私はどんな言葉よりも確かに、今ここに、自分にも、強い人類の「つながり」があるんだということを感じました。

経済学的な数字ではプラスにはならないかもしれない。

感染者数も減らないかもしれない。

国民の生活はよくならないかもしれない。

けれどそれら今までニュースで語られてきたような「価値」は本当は関係なかったのだなと思わされました。オリンピックは人の努力と進化と魂を表出したスポーツの式典であり、アートなのだと思いました。

理屈よりも良識

コロナによってこれまであった人と人のつながりが離され、社会が変わり、生活が変わり、考え方までもが変わりました。

「不要不急」という言葉が使われるようになり、これまで当たり前にあった娯楽が忽然と私たちの日々からなくなってしまいました。

そんな余裕を失った中で、私たちは物事を理屈で考え過ぎちゃってしまっている気がするのです。

「不要不急」の基準なんて理屈で説明するべきものでありません。

コロナ対応の「正解」と呼べるようなマニュアルは残念ながら憲法にも社規定にも教科書にも用意されていなかった。

だからこそ、今私たちに求められているのは正解を出す理屈ではなく、「良識」なのだと思うのです。

先が見えない中で延期になったオリンピックが、どんな形であれ実現できただけでも私は日本人として誇りに思います。そして選手として出場する選手は本当にカッコよくて、強くて、輝いていて、尊敬します。

応援してます。

がんばれ、日本!

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