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2016年。会社設立に際し、自分の会社のミッションをあらためて考えた。ずっと、日本の、それも主に地域や農村にかろうじて残っていた文化や物語の掘り起こしを生業にしていた僕が、今後会社活動を通してすべきこととはー。

それまでずっと、取材、編集、撮影などの仕事をしてきたのは、いろいろな場所に行き、知らないことに出会い、人と話したかったから。自己顕示欲も少なからずあったと思う。でも、この仕事を続けていくうちに、思いが変わってきていた。気持ちに同期するように、地域づくりの取材を深めたり、サステナブルなプロジェクトを海外にまで取材に行ったりするようになっていた。

文章や写真で人や地域を元気にしたい。

自分の関わったクリエイティブやプロジェクトで、
社会や人がよりよくなってほしい。

いつのまにか、主語が、人や社会になっていた自分に気づいた。

さて、僕が10年ほど前に興した株式会社ニッポン工房の名前は、名取洋之助のつくった日本工房と、宣伝誌『NIPPON』に由来している。

僕の中でずっと気になっている存在があった。名取洋之助。戦前(第二次世界大戦)、ドイツのフォト・ルポルタージュの手法を日本へ紹介した、写真家であり、アートディレクター。この名取が、木村伊兵衛らとともに設立したのが日本工房という会社だ。戦後、意見の相違で、事実上解散したものの、その後、〝第二次〟日本工房を立ち上げ、そこで発行したのが、日本文化などを世界に発信する宣伝誌『NIPPON』。土門拳(言わずと知れた日本最高峰の写真家)をはじめとした写真家、亀倉雄策(東京オリンピック公式ポスターが有名)などのグラフィックデザイナーを用いたもので(今考えたら信じられないくらいの豪華な布陣だったと思う)、それまでの日本にないようなクオリティで内外に知られた。

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かくして誕生した株式会社ニッポン工房。『NIPPON』のように、高いクリエティブで日本文化を発信することで、海外との接点になることを目指したい、と当時は思っていた(今も思っている)。ミッションに掲げたのは、

〝日本の叡智を海外に、海外の視座と文化を日本に〟

だ。不確定な世の中と同調するように、ソーシャルメディアが急速に発達し、取材や発信するコト自体も変容してきていると感じていた当時。ただ、書いて、撮って、編集するのではなく、関わったからには責任を持って、欲している人に情報やストーリーをきちんと届けたいとも思うようになっていた。

そして究極的には、

都市と地域、日本と海外をつなぎ、
相互理解を深め、
愛と感謝を伝播させること。結果、世界が平和になってほしい。

とも。突拍子もなく聞こえるかもしれないが、本気でそう思っている。

時は流れる。

これを書いているのは2024年現在、会社としては10期目だ。よく続いたと思っている。すべて理解ある周囲とクライアントのおかげ、あとはほんの少しの幸運に過ぎないと理解している。

今、手がけている仕事は、日本の大手企業の広報誌をはじめ、雑誌などのメディア制作を柱に、農水省インバウンド事業や中山間地農業のリサーチ、ゲストハウス&ホテルグループの新規事業伴奏など。同時に、自社事業として、ポルトガルと日本をつなぐ、取材や発信、文化事業、イベント開催なども。会社設立時の思いとは、少し違った形態にはなったが、一歩一歩、目標に向かっているような気がする。

そうそう、会社設立のずっと前から、僕は、

情報はだいじ、ストーリーはもっとだいじ。

をキャッチコピーに活動してきた。今も継続しつつ、

ワクワクをだいじに、コツコツと。

も大切にしている。


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乾祐綺・いぬいゆうき/欧州(ポルトガル)&日本2拠点で活動するフォトジャーナリスト
ポルトガルや海外のステキなことを取材したり、日本と繋げる活動費用に使わせていただきます。気になるトピックの取材もします。もしよろしければサポートのほう、どうぞよろしくお願いします🤗