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まわり続けて成熟する

人は生きている限り、成熟のためにぐるぐるとまわり続けている。

人は赤ん坊として生まれ、
そこには基本的欲求、純粋な欲望しかない。
意識というものはつくられておらず、徐々に形成されていく。
意識に関わりない欲求。

そこから自我が発生し、形づくられていく。
そして社会性を身に付け、大人へと成長を遂げていく。

…それで終わらないのが人間だった。

社会性を身に付けても、人は欲求や欲望は消えることはない。
むしろ欲求や欲望こそが、人を人たらしめているのだとも思う。

しかし、社会性や自我にばかり振り回され、
欲求や欲望は抑圧され、
人としての快・不快も気付かぬようにして、
生きる喜びすらも見失っている人がいる。

私も然り。

そういう時こそ、赤ん坊のような欲求や欲望に立ち帰るタイミングなのだろう。

親やその代わりになる人の伴走、依存があって身に付けてきた。
その欲求や欲望を自身の代わりに叶えたり、叶えなかったり。

社会性まで身につけた時、
また欲求や欲望に立ち返り、次は自身で形成していく過程を歩むのだと思う。

私自身、
ひとしきり、社会性を身に付けた後の空っぽさの後に戻ったのは
やはり、子どもの頃のような欲求や欲望に目を向けてあげることだった。

そして、簡単な欲求や欲望を叶えるところから始まり、より大きな規模の欲求や欲望を叶えることに挑んでいる。
(ここには人間としての発展や拡大の要素を感じる)

多分この先も、ぐるぐるとまわり続けるのだろう、と感じている。

人はぐるぐると、見かけは変わっても本質的にはまわり続けている。

今、私はどこを回っているだろうか。
いつだって、私は成熟の過程の中にいるのだ。