『頂点の孤独』 第3回〜家族との関係性——経営者として、一人の人間として
深夜、書斎の灯りだけが点いている。経営者との深い対話の場で、最も多く耳にする光景です。「家族は寝静まった後の時間だけが、自分を取り戻せる時間なんです」—こう語るある経営者の言葉に、多くの方が深く共感されるのではないでしょうか。
二つの「存在」の間で
経営者として日々を過ごす私たちは、常に二つの異なる「存在」の間で揺れ動いています。一方には、数百、時には数千人の従業員の生活を預かる「経営者としての自分」。もう一方には、一人の父として、夫として、あるいは妻として在る「家族の中の自分」。
理想的には、これらの存在が自然に統合されているはずです。しかし現実には、この二つの間に大きな緊張が生まれることが少なくありません。
先日、ある老舗企業の経営者との対話の中で、印象的な言葉がありました。
「会社では常に強くあらねばならない。でも家に帰れば、一人の夫であり、父親です。時に、その切り替えに深い疲労を感じることがある。でも、その疲労の正体は、実は演技への疲れなのかもしれません」
仮面の下の「私」を取り戻す
多くの経営者が、知らず知らずのうちに「仮面」をつけて生きています。それは決して不誠実さからではなく、むしろ責任を全うするための必然でもあります。
しかし、家族との関係において、この仮面は時として大きな障壁となります。
ある創業者は、こう語ってくれました。 「娘が私に言ったんです。『お父さん、会社でのお父さんと、家でのお父さんが違いすぎる』と。その時、私は深く考え込みました。どちらが本当の自分なのか。いや、そもそも『本当の自分』とは何なのか」
この問いは、多くの経営者の心の奥底にある、本質的な問いかもしれません。
「完璧」という鎧を脱ぐ
経営者として求められる「完璧さ」は、しばしば家族との関係性を難しくします。常に正しい判断を下し、強くあることを求められる立場であるからこそ、家族の前で「弱さ」や「迷い」を見せることに、大きな抵抗を感じる方も少なくありません。
しかし、ある変革期の企業を率いる50代の経営者は、興味深い発見を共有してくれました。
「ある日、経営の深い悩みを妻に打ち明けました。それまでは、家族に心配をかけまいと、あえて話さないようにしていた内容です。しかし妻は、私の想像をはるかに超える深い洞察を返してくれたのです。それ以来、彼女は私にとって最も重要な対話の相手となりました」
完璧であろうとすることを手放した時、逆説的に、より深い関係性が生まれる可能性があります。
時間ではなく、「存在の質」を考える
多忙な経営者にとって、「家族との時間が足りない」という悩みは普遍的なものです。しかし、本当の課題は時間の量ではないかもしれません。
ある技術者から経営者になった方は、このように語ります。 「以前は、家族との時間を増やすことばかり考えていました。しかし今は、たとえ短い時間でも、その瞬間に完全に『存在する』ことを心がけています。スマートフォンは遠ざけ、心を完全に開いて、家族と向き合う。その方が、長時間一緒にいても心ここにあらずな状態よりも、はるかに深いつながりを感じます」
「経営者」と「人間」の統合へ
究極的には、「経営者としての自分」と「一人の人間としての自分」を分けて考える必要はないのかもしれません。
最近、30年以上企業を率いてきたある経営者から、印象的な言葉を聞きました。
「若い頃は、経営者としての自分と、家族の中の自分を使い分けようとしていました。しかし今は分かります。経営判断の質は、人間としての深さに比例する。家族との真摯な向き合いは、経営者としての在り方をより豊かにしてくれるのです」
この言葉は、一つの重要な示唆を与えてくれます。家族との関係性を深めることは、単に私生活の充実だけでなく、経営者としての存在をより深めることにもつながるのです。
おわりに
完璧な解答があるわけではありません。しかし、この問いと誠実に向き合い続けることそのものに、大きな意味があるのかもしれません。
そして時に、静かな夜の書斎で、あるいは休日の散歩道で、家族と交わす何気ない会話の中に、経営者として、そして一人の人間として、最も大切なヒントが隠されているのかもしれません。
次回は「継承の本質——次世代に何を伝えるのか」をテーマに、経営者が直面する根源的な問いについて考えていきます。