【最後のとき:その2】MTGとの向き合い方(The Last Time)

こんにちは、ひらこと申します。

マジック・ザ・ギャザリング(以下MTG)を趣味に持つ、2児の父です。

先日、下記の記事にて「はて、これからMTGとどう付き合っていこうか・・・」と考えるきっかけをもたらした「最後のとき」という詩を紹介しました。

今回は、その続きを綴りたいと思います。

「最後のとき」という詩は「子ども時代における『最後のとき』がいつになるか分からないよ」というものです。

最後に一緒にお風呂に入ったとき、最後に一緒に寝たとき、最後に公園で遊んだとき、、、

そういったことは、いつ最後になるか分からないのです。

「最後のとき」は子どもに対する事柄ですが、自分にも当てはまります。

最後に車を運転したとき、最後に外出したとき、最後に自宅で就寝したときだって、いつか訪れます。

そして、最後に呼吸をしたときも同じです。


そのもとで、自分はMTGとどのように向き合えば良いのかを考えておく必要があります。

特にMTGに限らず、TCGに限らず、仕事と家庭と趣味と三竦みになっているお父様方(お母様方)は多いはずです。

この記事が誰かの参考になれば幸いです。

◆死んでもカードを持っていくことはできない

当たり前のような、大前提の話ではあるのですが、死んだとてカードを天国へ持っていくことはできません。宿命みたいなものです。

わたしがいなくなったとき、デッキたちは現世に置いていくことになります。

これをどうするかは残された人に委ねられます。

売るのか、誰かに譲るのか、遊んでもらうのか。

少なくとも廃棄はヤメて欲しいのですが、廃棄されないようにカードを大量に持つのは辞めようかな、とか考えてしまいます。

◆思い出は持っていくことができる

ただ、そんな中でも、思い出は死んだときでも持っていくことができます。

それは大会のことであれ、身内のことであれ、持っていけます。

もしかしたら、子どもたちと遊んだ思い出も持っていけるかもしれません。

◆必要なことは環境デッキなのだろうか?

死んでもカードを持っていくことはできないが、思い出は持っていくことができる。

このときに私にとって必要なものは、スパイク的な競技志向で取り組むことや環境デッキを握り続けることなのでしょうか?

丸1日や2日制の大会に参加することは、思い出にはなるけれど環境デッキを組むことと同じくらい必要なのでしょうか?

たぶんそうじゃなくて、デッキや対戦を通じたやりとりの方だろうな、とは思っています。

◆何が楽しくてMTGをやっているのだろうか

MTGを遊び始めた頃を振り返ると、自分は「MTGにしか無さそうなギミック」に魅力を感じていました。

ピーピングハンデス、バーン、ライブラリアウト、無限ループ、その他特殊勝利…。

それらを駆使して勝利したい。そんなことを思っていました。

であれば、自分のMTGに必要なカードって限られているんじゃないかな。

そうとも思えてきました。

◆最後に

フワッとした結論ではあります。

しかし戦略や構築でないならば、ある程度フワッとさせて自分の考えに柔軟性や余白を持たせた方が良いとも考えています。

これからも考えが変わることはあると思いますが、ひとまずベースとしてMTGに向き合っていきたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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