見出し画像

ジョーカー2見てきたよ(ネタばれ注意)



1,はじめに


ジョーカー2を見てきた。

1は銀幕ではなくアマゾンプライムで見たのだが、迫真の演技と細部までこだわり抜いた演出に、時間を忘れて画面に集中していた。

そして今回は劇場スクリーンでジョーカー2を鑑賞する。


ジョーカーことアーサーを演じるホアキン・フェニックスと、音楽界のビックスターであるハーレイ・“リー”・クインゼルを演じるレディ・ガガらがストーリーを展開していく。

控えめに言っても面白くないはずがない。

私は映画の視聴後にスマートフォンを開き、ジョーカー2でググってみる。

そこに書かれていたネットニュースの見出しに目が止まる。

「ジョーカー2、賛否両論の声」

有名になればなるほど、知名度が上がれば上がるほど、そこには批判もある。

SNSやヤフコメを見ていれば、嫌でもその事実がわかってくる。

しかしそのネットニュースにはこう書かれていた。

「賛否両論が話題にまでなるということは、賛成よりも否定が多いということである。」と。

その一文を懐疑的に思いもしたが、最近のポピュリズム的な政治家を見ると、否定が多いことは最高の賛辞ではないかとも思えてくる。

少し話が逸れたが、なぜジョーカー2が賛否両論を生んだのかを考察していきたい。

賛否両論をテーマにしたネットニュースの内容にもあったが、1から一転して、ジョーカー2ではミュージカルでストーリーが進められていく場面があった。

そしてそれが賛否を生む理由になっているらしい。

なぜミュージカルになると否定の意見が増えるのか、そこを深堀っていきたい。

ミュージカルは歌とダンスで表現をするエンターテインメントである。

一方で、一般的な映画は具体的なセリフや声である言語情報と、表情や仕草などの非言語情報で物語を伝えていく。

つまりミュージカルのほうが抽象性が高く一般的な映画は直接的な表現が多いので具体性が高いと言えるのかもしれない。

ミュージカルのような感情やテーマが直接的な言葉や行動ではなく、象徴的な形で伝えられる場合、観客の解釈や想像力に委ねられる比重が高くなる。

こうした象徴的な表現に感情移入できる人もいれば、逆にその「分かりにくさ」に戸惑い、拒否反応を示す人も出てくるのかもしれない。

そしてミュージカルの歌詞やメロディは観客の感情を揺さぶりもするが、必ずしも物語の進行の直接的な意味や表現をもたらすわけではない。

そのため観客にとって「この歌で伝えたい意味とはなにか」という疑問を思い起こすことに繋がり、それが評価を二分する一つの要因になっているのかもしれない。

ミュージカルは抽象的で、一般的な映画は具体的

きっとそういうこと。それでしかない。

、、、少し結論が乱暴ではないか。

そこで、ここから自分の論調を批判してみたい。


2,作品の複雑性


まず非ミュージカル映画にも抽象性の高い映画は数多く存在する。

アート映画やインディペンデント映画(自主映画)などは大衆向けに作られていない場合が多く、監督が撮りたいものを作っている。

少し前に話題となった宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」は、見た人たちに「難しすぎる」、「よくわからなかった」などの感想を抱かせた。

つまり一般的な映画でも抽象度が高い作品は存在して、その表現が観客に多層的な解釈をもたらすケースはこれまでにも数多くある。

次に自分の論調ではミュージカルは歌とダンスで、一般的な映画はセリフや演技で表現を行うというように論理を展開した。

しかしこの二分法には限界があるようにも思えてくる。

レミゼラブルやハミルトンなどのミュージカルで歌われる歌詞には、セリフと同じく物語を進行させる役割がある。

歌詞に直接的な表現がある場合、登場人物がなにをどう思っているのかの解釈は、ある程度同質化していくものと考える。

また作品への評価は単に表現形式だけで決まるものではない。

観客は「前作との一貫性」「ジャンルへの期待」に基づいて映画を鑑賞する。

そのため1作目が非ミュージカルだったのに2作目で突然ミュージカルになると、観客はその「非整合性」に不快感を覚える可能性がある。

それは人間が持っている「現状維持バイアス」が要因になっているのかもしれない。

過去と同じ状態が続くことを考え、望み、それに変化があれば不快感を覚えるという人間の本能に根差しているのかもしれない。

観客の期待と作品の構成がズレることによって、賛否両論を呼んだ可能性も十分に考えられる。


3,まとめ


ジョーカー2への賛否両論は、抽象的表現が解釈の幅を広げるからという理由だけでは説明できないと考える。

そこには作品の形式、観客の期待、そして文化的な背景などの多様な要因が複雑に絡みあっていると考える。

作り手と観客の相互作用が映画という産業を作り上げているとするならば、その解釈の幅や評価の差に本質や魅力が詰まっているのかもしれない。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?