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夕食はコック・オ・ヴァン_2023/08/01

今日は「歯が命の日」だそうです。

よろしくお願いします。





竹宮ゆゆこ『おまえのすべてが燃え上がる』を読んだ。

竹宮先生といえばラノベの『とらドラ!』で有名だが、一般文芸もめちゃめちゃに面白い。
僕が近頃ハマっている作家のうちの一人だ。


彼女の一般文芸作品は、一貫して「自分の過去に関わる人や物を守護霊的に認識している主人公が異性と出会い、(ボーイ・ミーツ・ガールもガール・ミーツ・ボーイもどっちもある)なんやかんやあって成長する」という形式の物語になっている。

ストーリーを極限まで抽象化したらこのようにほぼ同じはずなのに、とてもそうは思えない。作品ごとの良さがある。
僕はこれを含めて竹宮作品を4冊読んだけど、毎回心を打たれている。

ついこないだは新刊『心臓の王国』が出たそうで、これも読むのがとっても楽しみ。



小説や映画などのフィクション作品に、かなりの割合で平然と恋愛要素が入り込んでいることが恐ろしい。

もう生まれて20年弱くらい経つはずなんだけど、今なおあんまり恋愛にピンときてない自分がいる。
この自分のよく理解できていない感情を、他の多くの人が当たり前に理解しているという事実が怖い。


恋愛とは人を好きであることだと言えると思うのだが、その「好き」は、「好き」という感情全体のどこに位置するのだろうか?

僕も「このキャラが好き」「この食べ物が好き」などにおける「好き」の収納場所はある程度分かる。
しかし、友人と恋人の境目、好きな芸能人と恋人の境目とかの話にまで発展すると、よく分からなくなる。

……いや、恋愛対象は別に必ずしも人である必要はないのか。
ケモナーは動物に恋愛感情を持つだろうし、無機物を好きになる人だっている。

となると、同じ「このキャラが好き」「この食べ物が好き」でも、嗜好としての「好き」と恋愛としての「好き」が存在するわけで、もうわけが分からない。


スタンダール『恋愛論』でも読むか……。





今日の朝日新聞朝刊より

「君たちはこの国をどう守るか」
「シン・愛国放談」

パクリすぎ。

もうちょっとcreativityを働かせろ(デベデイデベデイ)。





今日は夕飯を作った。

もっと平たいお皿が欲しいところ

鶏肉の赤ワイン煮込み。

フランスの家庭料理で、フランス語では「コック・オ・ヴァン」と言うらしい。

「うちの今日の夜ご飯? え、コック・オ・ヴァンですけど?」って言いたい。


レシピはこれ。
ガチのフランス料理人・ジョージさんを参考にした。
料理系YouTuberで一番好き。


野菜、肉、赤ワインの旨味が濃縮されていて、自分でもかなりよくできたと思う。

やっぱ煮込み料理は美味しいね!

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結城eC
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