陣痛とは、そしてその攻略とはなんだったのか
出産、そのいまいましく、ほんのひとさじ興味深い現象。
出産と言う行為は、ずっと、恐ろしすぎた。
妊娠する前からずっとずっとずっと、恐ろしい存在だった。
恐ろしすぎて、子どもがほしくない(ずっと迷ってた)理由の有力な要因のひとつですらあった。
なぜこんなに肉体に負荷がかかるのか。
なぜこんなに性別で不均衡なのか。
ちょっと前はまあまあな割合で死んだりすらしてた、その行為。
憎んでいた。
普通に呪っていた。
正直男性はいいですねと思わざるを得ない。
その怨念が高じて、なぜ人間の出産はこんな大変なのかみたいな生物学の本すら読んで、改めて念入りに憤死していたくらいだ。妊娠中に。往生際が悪い。
でも、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、マジでほんの耳かきいっぱい程度だが、好奇心もあった。
達人による痛みの受け流し
出産の過酷さを表現した作品は、フィクション・ノンフィクションを問わず枚挙にいとまがない。書ききれないほどに。
あらゆる言葉と表現がつくされた名作がたくさんある。
ただ、そのなかで、ちょっと違う角度から出産を描く作品もあった。
例えば田房永子さんのエッセイ。
合気道の呼吸法(たぶん、ヨガやピラティスでやるような腹式呼吸的なのではと想像する)と脳内ハワイ(波打ち際イメージ)に集中し気を逸らすことで、痛みを直撃させずに受け流したとあった。
すごく痛い、はずなのに、ピークの痛みすら、逃がすことができてたと…。ハイパーウルトラスーパー瞑想みたいな感じだろうか。
また、実は、YouTubeには育児系YouTuberによる出産記録動画と言う界隈があり、ライブ感をもって撮影レポされているものがめちゃくちゃある(知らなかったでしょう)。
その中でも特に経験者となると、同じように呼吸法を持って陣痛をにがしている動画は少数だが見られた。
本当に?出産を?しているのか?????と言う静けさ。脅威。
もはやハンターハンターのネテロ会長のような、念能力を坐禅を組んで静謐の中で修行しているような姿に神々しさと畏怖すら覚えていた。
極限の中でつちかわれた技術、すごすぎる…。
どんな感じなんだろう…。
とはいえ、無痛の自分には無縁の技術だわね(フラグ)
そんな作品群に触れながらも、自分自身は痛みに強い恐怖を覚えていたから、もともと無痛分娩1択だった。たまたま近所に無痛分娩を対応してくれる医院があるという恵まれた環境だったため、妊娠判明即分娩予約をした。
(余談だが、人気の産婦人科は秒で予約が埋まるため、妊娠したかも?くらいの段階で予約しないとあっというまにドアが閉ざされるのだ…。いまの日本では無痛分娩とはかなりの情報収集と競争力を発揮しなければならない)
一方で、言葉に尽くせないほどの痛み、そしてそれを逃すことができる呼吸や対策とは一体どういうものなのか?と言うのは、ほんの髪の毛1本程度の興味と好奇心は残っていた。
ただ、もちろん、無痛分娩をキメられていたからこその余裕ぶっこいた好奇心だ。「オリンピック選手ってどんな日常生活送ってんだろ〜?」とかに近いお花畑な妄想である。
わたしの選んだ無痛の方法では、本陣痛の手前までしか痛みは味わわないはずで、余裕こいていた。
はずだったのだ。
幸か不幸か(不幸)いっとき経験したピーク陣痛
※誤解と不要な恐怖を生まないよう補足しておくと、多くの人は「強い痛みを経験せず避ける」を享受できるはずで、私のケースがマジョリティではありません。
硬膜外麻酔により痛みとは無縁になるはずだった私の出産。
現場、その瞬間に初めて知ったのだが、私の受けた処置のケースだと麻酔と言うのは入れてすぐ100%効くわけではない。正確にはまず「とり急ぎの痛み止め」的プレ麻酔みたいなのを打っておいて、それを貫通するくらいの陣痛がきそうだったら本番の麻酔をいれる。その本番の麻酔の作用は体の上部から順々に効いていく。
つまり、無痛が訪れるのは 腹上部→腹下部→尻の順番だ。
そして陣痛も同じように進行する。
陣痛とは、つまり、ふだん慎ましいサイズになっている産道を胎児の頭サイズにスタンバイするためにこじ開けていくときに生じる痛みであり、痛む場所は進行フェーズによって変わるのだ(冒頭で紹介した、怨念の生物学の本で得た学び)。
本来は、麻酔はそのタイミングに間に合う。
そして私の場合、陣痛が始まってからめちゃくちゃ進行が早かったのだ。常人(初産婦)を超えたそのスピードは、麻酔を置き去りにした。
お腹は間に合ったが、お尻…お尻をあと一歩のところで救えなかった。
〜〜ピーク前〜〜
アーイテテテテテテテテ…。
あーいうて痛いな、すでにぜんっぜん生理痛のピークプラスアルファくらいには痛いな(いちおうすでに麻酔の投与は始まっている)。
いっちょやってみっか。
呼吸!
ッスーーーー
ッフーーーーーーーー
沖縄!
…ザザァーーーーーーーーー…ン……
…ザザァーーーーーーーーー…ン……
たまたまガラガラだったカフェのテラスから見た景色。穏やかな波打ち際と朝の光。
いちばんリラックスするようなイメージはその美しい記憶だった。
呼吸とイメージに意識の焦点を持っていくことで、たしかに痛みからピントがずれる気はする。集中力はかなりいる。
ほんとにマインドフルネスの訓練のようだ。
沖縄での会話の反芻「えーここめっちゃ穴場じゃんいいねえ(ザザーーーーン)」
すかさず合間に自己暗示「わたしはあぴもえあぴもえあぴもえ(例の達人YouTuber)」
沖縄の静かな海。分娩室の天井が波と照明でキラキラしていた。辛かったけれども、それである程度多少は散らせているような感覚もあったんだ。
そうか、痛みは「痛み」を見つめ味わうべきではなったんだ…いままでの生理痛に苦しんできた自分に届けたい。
つーか麻酔は?
〜〜そしてピークへ〜〜
いつのまにかそれは訪れていた。
ある時を境にぜんぶのイメージと言葉が脳から消え去った。沖縄も自己暗示もふっと存在をくらました。なんとか呼吸だけでも維持しようとしていたが、さすがに声が出た。
ホワイトノイズのような真っ白な閃光に脳がおおわれている。
その閃光は痛みだった。
もはや、認知できる「私」は痛みそのものだった。
陣痛というのはリズムがある。
数分刻みで、痛みが引くタイミングがくる。すると、すっと光が引いて、目を開き状況と思考を言葉で理解できるようになる。
その刹那の、光がなくなり言葉を取り戻すタイミング。ぼんやりと無力にベッドサイドのせまりくる痛みを示す波を刻む波形を眺め「これより強いのがくるなんで(実際はピークだったそうで白目)あぴもえマジハンパねぇって…」とだけ考えた。
そしてまた、閃光が視界をおおってきて、そのぼやきがぷつんと途切れるのだった。
尻の秘孔(なぜか押されると痛みがやわらぐポイントと強さがある!!)を的確に押してくれる助産師さんは神だった。
その時間はどれほどだったろうか。そう長くはなかったはずだが鮮烈だった。
そうこうしてるうちに麻酔が効き、わたしは言語を取り戻したのだった。
その後はやっとこさ夫を電話で呼び出したり、助産師さんの小話を笑顔で聞いたりしつつ、陣痛と助産師さんの手(!)によって(これ本来麻酔なしでやるのはすごすぎて改めて意味わからなかった)こじ開けられた産道をとおり、無事子はこの世に生をうけたのだった。
人間の感じうる"最上級"を知る(でもマジで味わわなくていい)
振り返ってみて、
ピークの陣痛、つまり人体で感じる中でも、かなり最上級の痛みと言うのは、言葉もイメージも全て奪っていくものであるらしかった。
細かすぎて伝わらない表現選手権になってしまうが、連想したのは、村上春樹の小説「ねじまき鳥クロニクル」内。ある登場人物が戦時中モンゴルの深い井戸に裸で取り残されてしまうというハチャメチャな極限状態の中、井戸にさしてきた太陽の光に包まれ圧倒的な真っ白になり、その刹那、人生の意味すら変わってしまうという箇所の描写だ。
もしかしたら痛みに限らず、感覚と言うのは、言語を超えたキャパシティーになると、脳も視界も言葉も何もかもが真っ白になるものなのかもしれない。
この「最上級の感覚とはどんなもんか」のベンチマークができたことにより、私の今後の人生の痛みその他感覚観も多少変わったことだろう。
思えばあのお産の達人たちは、「最上級とはこーゆーもん」がある程度予測できているからこその「技(ぎ)」だったのかもしれない。もちろん大前提肉体的な違いもあるだろうけど。
わたしは結果的に麻酔が遅れてきたことによりちょうど「短時間だけピークを味わう」というケースだった。
今になって思えば、好奇心が1つ満たされて、個人的にはちょっとお得だった。
人生でも屈指の感覚の尖った一点であったのは間違いないから。
でも!これは!強調したいのだが!!
やってみて改めて、別にあえて味わう必要は無いとおもってる。
麻酔は偉大だ。もし無麻酔で出産を完遂することになっていたとしたら…。気が遠くなってしまう。
もちろん、麻酔を使えないケースもある。いろんなお産があるだろう。それは配慮しなくてはならない。
でもこれは言いたいのだが、よく言う例え話で、歯医者の治療を無麻酔でやることはほぼないように。
不要な痛みは味わう必要なんてないと思うのだ。
無麻酔を「"普通"分娩」と呼ぶのは正直どうなんだろうと改めて思っている。
言葉を選ばず言えば「異常分娩」だ。
妊娠と出産にのぞむ人たちが、それぞれの希望する形になることを心から望んでいる。
余談だが、
やっときいた麻酔により脳に言葉が戻ってきて話せるようになってから夫に早く来いと電話をしたのだが。まだ効き始めなので若干息も絶え絶えだった。
「あのとき大変そうだったね!」と言われたけれども、本当に、大変だったのは、その手前だったんだぞ!!と言うのはなんとしてでも伝えずにはいられなかったのだった。