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「四月になれば彼女は」感想※後半ネタバレあり
小説と映画
先日、映画「4月になれば彼女は」を鑑賞しました。
以前、原作について自身のnoteでも少し紹介しています。
ネットのレビューでは均等に評価が分かれ、あまり高くなかったので、観に行くか迷ったのですが、好きな原作だったので思い切って観に行きました。
個人的には行ってよかったと思っています。
小説と映画では違いがそれなりにありました。
だから、原作ファンからも評価が分かれると思います。
個人的には、原作で大きな役割を担う大島がいないということが残念ではありましたが、2時間に収めるためであり、映画は映画で悪くなかったという印象です。代わりに伊予田春の父親が出てきます。また、主人公の婚約者の妹も立ち位置が全然違います。
小説を映画にするにあたっての原作者の想いは以下の記事で読むことができます。
演出の少なさ
映画全体を通して、物語の起伏が少なく、音楽も最低限だと感じました。それが人によってはつまらないと思う原因かなと思いますが、個人的にはこれでよかったかなと思います。
この演出の少なさこそが、藤代にも、藤代の婚約者・坂本弥生(長澤まさみ)にも、元恋人の伊予田春(森七菜)にもそれぞれの悩みがあり、想いがあり、それらがすれ違うことで、関係がうまくいかない。それを物語っていると感じました。
また、原作でハルの写真は色が薄いという描写があります。それも反映されているのかなと感じました。(違うかもだけど。)
ここから先、ネタバレ注意です!
好きなセリフ
この物語の中で一番好きなセリフ。
「わたしは雨の匂いとか、街の熱気とか、悲しい音楽とか、嬉しそうな声とか、誰かを好きな気持ちとか、そういうものを撮りたい」
このセリフの前のやり取りにも原作との違いがありました。
ハルの「……藤代さんはどんなものを撮りたいんですか?」という質問に対して、主人公・藤代俊(佐藤健)は原作では、
「ポートレイトを撮りたいんだ。人の顔を正面から撮れるようになりたい。」
映画では、
「ポートレイト以外かな。…人の顔を正面から見るのが苦手なんだ。」(正確に記憶できていないので趣旨)
というセリフに変わっていました。
このあと、引用のハルが撮りたい写真についてのセリフが入り、そこは変わっていなかったので安心したのですが、個人的にはこの変更はすごく印象的でした。
どうしてこのように変更したのか、すごく気になるところです。
結末の違い
ここではネタバレになるので詳しくは書きませんが、婚約者の弥生がいなくなるストーリーは原作も映画も同じですが、最後の結末には大きな違いがありました。
映画単体としての結末では十分だと思いますが、個人的には原作が美しい終わり方だと思った分、少し消化不良な終わり方でした。尺の都合上のストーリー変更なのでしょうがないですが、原作通りの映画も見てみたいものです。
愛を終わらせないためには…
「愛を終わらせない方法、それはなんでしょう?」
映画「四月になれば彼女は」の中心の問いです。
究極的な悲しい答えは、弥生の言う「手に入れないこと」ですが、それってとても悲しい。
愛とは何なのか。
そんなことも考える作品です。
もし興味が湧いたら、ぜひ観に行ってみてください。
雪兎