
「寄付」とは無縁だった人生から、買い物と同じくらいの感覚で寄付できる人生になった。
寄付とは無縁だった人生。寄付したい先も見当たらない
お恥ずかしながら、これまでの人生で「寄付」という行為をすることがあまりなかった私。
これまでの寄付実績といえば、小学生の頃に親に持たされた「赤い羽根共同募金」に数十円、社会人になってからは親しい人のクラウドファンディングを数件支援した程度。
道端での募金活動は「怪しそう」の気持ちが勝ってなかなか入れれないし、コンビニのレジ横の寄付BOXは詳細を読む暇がなくて「とりあえず」という気持ちで適当に入れたくもなくて入れたことがない。
マックのレジ横のドナルド・マクドナルド・ハウスの寄付BOXに関しては、実際に施設見学までしたし、その活動自体はとても意義を感じるけれど、マクドナルドという大企業のあり方や提供しているものにも間接的に寄与することになるから、そこまで考えると、どうしても入れる気になれず。
もちろんお金がすべてではなく、ボランティアなど人的リソースという支援もあるけれど、それもあまりしてこなかった。(NPOには入っていたけれど、完全ボランティアではなく、謝礼が出るケースがほとんどだった)
応援の気持ちで株を持っている企業もあるけれど、それと寄付はちょっと違うし。
寄付へのスタンスとお買い物のスタンスが急激に変化
そんな私は昨年後半あたりから徐々にクラウドファンディングなどに積極的に支援するようになった。それに伴ってより寄付や支援したい先にアンテナも張るようになり、寄付したい先も見えてくるようになった。
もちろんどれでもいい、というわけでもなく、引き続き関係性のある人の投稿を見たり、自分なりに共感できるか、自分はその課題を解決できないけど、誰かに託したいと思うか、などの選定軸はある。
だけど、そもそも寄付へのスタンス自体が変わった気がする。
どこかでケチ臭い気持ち(このお金あったらこれが買えるのにな、とか)が完全とは言えないまでも消えて、普段のお買い物で「これが素敵だから買う」と同じように、「こんな社会になったらいいなと思うから買う」みたいなチョイスが自然にできるようになった。
そう思うと、お買い物のスタンスも一緒に変わっているのにも気づいた。
これまでは「高い」という理由で買わなかった平飼い卵を、普段から選ぶようになり、値段だけ見れば3倍くらいするのに牛乳からオーツミルクになり、こちらも値段だけ見れば2倍くらいするのに、どこでも買える洗濯洗剤ではなく、動物実験ゼロ環境配慮型の洗剤に切り替えた。
仕事と本が意識の変化に寄与
その変化の根源にはもちろんいろんな要素があるけれど、大きいのが仕事と本だ。
greenz.jpでのお仕事
昨年4月、ご縁あってグリーンズでのお仕事をさせていただくことになった。
もともと好きで読んでいたメディアだったけれど、仕事として関わることで
、当然その何倍にも接する時間が増えた。そうすると、自分の見える景色、考える視点、言動も変わってきた。
ありたい姿に近い組織、コミュニティに所属することで、やはり人は変わる。し、逆に言えば「今の自分から変わりたい」なら人間関係をガラっと変えるのはとても有効だという証明でもある。
書籍『きみのお金は誰のため』
話題になっていたこの書籍。
まとめは色々出てるからそちらを参照していただくとして、とにかくぼんやり思っていたお金への在り方を、すごく的確に言葉と感覚に落とし込めたなと思う読書体験だった。
まとめ
わたしは今、子育て中で、家のローンもあって、現実的にはすごくすごく「お金」が必要なタイミングであることは事実。
パートナー、子供、という私以外の要素もとても大事だからこそ、今すぐに生活をガラリと変えることは難しくて、少なくともここ数年は都市生活を営むし、資本主義的な構造の中でも生きていく必要がある。その中で、意図せず何かに加担してしまうこともきっとある。
だけど、だからと言って、全部のコントロールができないわけじゃない。
複雑な社会問題に目を背け、都市生活で環境を破壊しつづけ、資本主義に加担し続けるだけの人生ではなく、日々の購買活動、意識を向ける先をちょっと変えるだけで、それをマシにすることはできるし、「加担しない」という姿勢が周囲を変えることもある。
ぶっちゃけ、急にママ友の間で「私、プラスチック無理なんで、このお菓子もらえません」とかは言えない。笑
「過激派ママw」「こだわり強w」「癖強w」「自然派w」と揶揄される危険を背負ってまで大きくアクションしたりすることはできない。普通に怖いし嫌だ。
だけど、一緒に買い物する時に、一緒にランチする時に「わたし、平飼い卵買うようにしてるんだよね」とか「プラントベースのごはんにするね」とかなるべくマイルドに、でもその姿勢をたしかに伝えることはできる。
だからこれからも、私はわたしにできる範囲で、でも、向かいたい未来に反しない方法で、私の人生をすすめていきたい。