QBハウス、女子が入るの躊躇うが、行ってみたらめちゃ良かった話
差し障りのない話題ほど、差し障る私にとって、美容院はリラックスするより、疲れる空間だった。
「今日は美容デーですか?」
「お子さんはこの時間は?」
こんななんてことない軽い世間話というか、問いかけに対して、頭の中が一気に忙しくなる。
例えば一つ目。
(私は美しくなるための日を設定していないし、というか何をしてもしなくても私は私だし、外見が美しくなるためではなく、機能として髪の毛を短くしたいだけじゃだめなのだろうか。というかそれって男性っぽい人にも聞くのだろうか?私が女の子っぽいと思って「女子=美容デーを設定している」みたいな思い込みなのだろうか?だとしたら、女の子が自分の美容に対してわざわざ休日1日かて、時間をかけて「より美しくなること」「綺麗をキープすること」を当たり前だと認識しているということなのだろうか?)とぐるぐる頭は回りながら、
「ええ、まぁ」と差し障りの無い回答をすることになる。
同意してさらに加速されても困るけど、否定して前提を理解してもらうには重すぎるから。考えすぎかもしれないけれど、考えなさすぎる罪よりはいいと思う。
「お子さんはこの時間は?」なんてもう言わなくてもわかるけど、私にとって何時間あっても足りないくらい言いたいことが溢れて「夫といます。親なので」と、少しの抵抗を添えるくらいしかできない。
もちろん、私がとても敏感に言葉を受け取り、時にネガティブに捉えている側面もあると思う。し、向こうだって仕事上仕方なく世間話するしかないのもわかる。万人受けする、「一般的な」話題を振ってくれているのもわかる。
が、言葉とはそれだけで人の命を奪いうる力があるもので、意図しなくても、いや、意図しないからこそのその言葉選びの中に、その人の潜在的なものの見方が映し出される。
だから余計しんどいのだ。
その世間話の、雑談の、意図しなさの中に、無意識の差別や偏見が含まれうる時、あまりの無意識さに、ナチュラルな差別への加担に、余計に絶望する。
私にとって美容院は、お金と時間を払って、髪が綺麗になる以上に精神的なしんどさをわざわざ買いに行くような時間だった。これはネイルも同様だった。(マツパは完全に寝られるから逆によかった)
もちろん大丈夫な美容師さんもいて、そういう方を指名し続けはするけれど、わざわざ話したいかというとそうでも無いから、何のための時間なんだろうというモヤモヤは消えなかった。
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やっとここで表題に戻る。
私がまだ20代前半で、営業マンで、その他の活動もやっていて、土日も時間がなさすぎた頃。
とりあえず清潔感は保ちたくて、でも上記のような不快な体験は避けたくて、選んだのがQBハウスだった。
たまたま当時の最寄駅にあり、気になってはいたけれど、おじさんばっかりで入りづらく、やっとの思いで(事前に発券機の使い方までググって)閉店時間間際の人の少ない頃を見計らって入ってみた。
結果、とてもよかった。
何センチ切りたいかだけ聞かれて、ものの20分で「髪の毛を短くする」「清潔に保つ」というシンプルな目的が不快感なく達成された。
なんだこれは。
こんなにも不快感なく、的確に、目的達成できるなんて。
しかも超時短&超安い。
これ以来私はQBハウスの虜になった。
産後、まだ授乳タイミングに慣れていないタイミングでも、短時間だから躊躇なく入れて、髪が綺麗になって、心が晴れた。
私の場合、ミニマリストを意識し始めてから、ショートヘアでノーカラーというシンプルな髪の毛なのでフィットしている側面もあるけれど、ぜひとも同じような不快感のある人に通ってほしいと思う。
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