エッセイ #3|「親戚のおねえさんと、シールと、私と。」
小さい頃、大好きな親戚のおねえさんがいた。
いつも飄々(ひょうひょう)としていて、とてもサッパリとした性格のおねえさん。
歳は一回りちょっと離れていたけど、私のことを決して子ども扱いせずに、いつだって対等に接してくれた。
母がよくそのおねえさんが住んでいる親戚のお家に遊びに連れて行ってくれていて、その度にいつもおねえさんは私を連れ出し、二人で街を一緒にぷらぷらと散歩をした。
散歩の帰り道には決まって「何か欲しいものあったら買ってあげるよ。」と言ってくれて、私は毎回飽きもせずに「シールが欲しい!」とねだって、買ってもらっていた。
少しだけ成長した私がある日そのお家に遊びにいくと、おねえさんが、私の喋る姿を見て「あずさの声って低いねぇ」としみじみと言った。
その瞬間私はカーッと恥ずかしくなり、自分の声が嫌いになった。それ以来私はあまり喋らなくなり、背中も丸まり、喋る時もボソボソと話すようになった。誰と話しても「えっ?聞こえない、今なんて言ったの?」と聞かれるようになった。
今思うと、多分私は、ちょっと拗ねていたのだ。大好きでとても憧れだったおねえさんから、自分の絶対に変えられない部分を「否定」されたような気がして、悲しかったのだ。
それ以来、自分の個性を隠す生き方をしていたけど、ふと気づいたら喋る仕事に就いていた。そのおかげでたくさんの素晴らしい出会いがあった。
今思うと、大好きなおねえさんが、私の声を取り上げてくれたことが、回り回って、私の才能を活かすキッカケとなったのかもしれない。
そして、あの日から約30年ほど経った今、私は当時の自分と同じ年齢の甥っ子に「何か欲しいものを買ってあげる」と意気揚々とデートの申し出をして、自分の個性を活かした仕事で稼いだお金で甥っ子の欲しいものを買い、大喜びで一緒に散歩をしてもらっている。
もしかしたら当時のおねえさんも、今の私のような気持ちだったのだろうか?そうだったら嬉しいなぁ。
こうして、幸せの連鎖は続いていく。
おねえさん、今も変わらず、私はシールが大好きです。ついでに甥っ子もシールが大好きです。また一緒に散歩がしたいです。
おねえさんにまた会える日まで、一生懸命頑張ります。