「山本太郎が『アベノミクスは正しかった』と述べた」なる話
X は便所の壁みたいなもんだから何を書いても大丈夫!と考えている人もおり、実際ほとんどが大丈夫なのもあって X はその無法地帯ぶりを加速している。これはソーシャルメディアとしての本来の役割の終焉にむかって墜落する速度を増していることにほかならず、普通に考えると大変な事態だ。
……が、あいにく、現在の所有者にしてみれば X とは自身の流言とそれに同調するクソバカどもの戯言を撒き散らすためのオモチャに過ぎない。なので、なんともならないでしょう。早晩、有益な情報のない 4chan みたいなものになるのではないか。既になっているような気もするけど。
窓ガラスが破れている廊下で雑巾がけをするアホはいない。
だから僕も、なりすましや完全なデタラメを書いているアカウントの通報くらいはするけど、なんらかの内容について誰かを意見を交わすとかはほとんどない。せいぜい自分の思ったことを書き散らしておしまいにしてしまう。相手の素性も力量も目的もわからないまま議論が成立するような奇跡を期待できるほどの乙女じゃないんだ。
したがって、今回ふと目にとまったことも僕の基準では無視してかまわなかったんだけど、でもやはり書きたくなったのでそうしておこう。Note には「なんでも書く」と最初に決めたしね。
きょうは何の話?
それで何の話かっていうとタイトルのとおりだ。あるとき X で誰かが「山本太郎は今になっても『アベノミクスは正しかった』と述べていたよ」と書き、それをまた別な誰かが「そうなの?」と応じていた。その様子を僕が見た……で、まあ、いちいち指摘しにいくのも面倒なのでそのときは流した。
そこで本来なすべきだった指摘を後になったけどしておこうってわけだ。意味があるかな? あると期待しよう。
先に『山本太郎』の説明をしておこう。彼は日本の政党『れいわ新選組』の代表であり、党首である。この党は経済政策に関していわゆる「積極財政」と呼ばれる姿勢をとっていて、ここ数十年以上にわたって日本でとられてきた緊縮政策を真っ向から否定し、それとは完全に真逆の位置に立っている。
『アベノミクス』とは当時(も)デフレーションが続く日本経済を再起させるべく打ち出された、時の首相であった安倍晋三が展開した一連の経済対策を指す。戒名にすると「量的金融緩和政策」になる。平たくいえば、市場にカネをどんどん流しながら(金融緩和)、公的にも支出をし(公共事業)、規制を変更して企業がやりやすい環境を作ろう(成長戦略)、ということになる。
流れてきたカネは大きな組織に新たに動く力をもたらし、その下の中小企業も恩恵にあずかる。それはまもなく末端の労働者たちをも潤すであろう。
これがアベノミクスであり、トリクルダウン理論 (trickle-down effect) ――理論というよりはおとぎ話のような仮説――である。
そしてこれが失敗に終わったのは既知の通りだ。
大量に注ぎ込まれたカネは下層まで届くことなく富裕層がただブクブクと肥えたのみにとどまり、日本経済は現在、誰がどこから見ても明らかに荒廃している。これを認めない者がいるとしたら、安倍晋三を唯一神と崇め奉る自民党安倍派の残党くらいのものであろう。
これを含んだ前後の経済の停滞期を指し、山本は「失われた 30 年」という言葉をよく使う。そしてその 30 年のうちかなりの期間で与党・自民党のトップにいたのがほかならぬ安倍晋三である。
となると当然、さきほど見たやりとりには疑義が生じる。この低迷の主犯であるとしか考えられない人物の政策を「正しかった」と言ったらおかしいではないか。だいたい、失敗したものを「正しかった」と主張するのもなかなかの蛮行だ。しかし、僕が直接見たわけではないので推測にはなるが、山本がそのように述べたことはおそらく事実だと思う。
なぜなら、まず、不景気のときに使えるカネを増やすのも公的に雇用を創出するのも古来より前例ある常識的な対応だからだ。常識と良識に欠け、口を開けば嘘と漢字の読み間違いが出てくる男の行動の中にもまともなものがあったわけであり、山本が「正しかった」といっていたなら、たぶんこの部分を指している。「部分的には正しかった」を少し端折って伝聞すると「正しかった」になるわけだ。
ただ、自民党を「経済オンチ」と糾弾しながら、その先頭にいた人物が主導した経済政策を「正しかった」と述べるのは、普通に考えれば筋が悪い。
この行動の理解には、山本の経済理論が何であるかを知る必要がある。結論から書くと、それは経済アナリストの森永卓郎さんの主張である。
僕はれいわ新選組の経済政策として山本が示すものを何度か見たが、両者の内容はほぼ一致しているし、森永さんも「現実的かつ具体的」と絶賛しているので、そういうことなのだと思う。話の骨子はこうだ。
「日本国は莫大な借金を抱えている」は事実ではない
自国の国債は借り換えつづければよいので元本の返済を考える意味はない
国債の名目金利を名目成長率が上回るかぎり財政の持続可能性は維持される
詳しい説明は森永さんの著書を読んでもらうことにして、一言にすると「"国の借金" とやらが増えてもインフレーションは起きないままにできる」。つまり、国は「借金を後の世代に押し付けるんですか!?」と叫んで増税を繰り返しているが、それは詐術であり、本当は財政の均衡などに意味はなく、財政出動をする余地がかなりある……といっている。
ただし、現実にそれを試して「国債の発行をバーッと増やしたら信用ガタ落ちで経済が破綻しちゃいました」となったらえらいことだ……いや、えらいことだった。
「だった」というのは過去の話だからで、今日は、すでにそれを実際にやって確かめられた後だ。誰が確かめたのか? それは安倍だ。そう、アベノミクスによって。
自国の全土を巻き込んで社会実験するなよといいたい気もあるが、それなりに自信もあったのだろう。いずれにしても、結果は大丈夫だった。
実験は成功、税収全体を上回るまで国債を増やしてみても「高インフレも、為替の暴落も、国債の暴落も起きなかった」。これによって労働市場は改善し、物価も上昇に転じた!
ただし、当初もくろんでいた(はずの)公的支出は不十分だったし、大企業に溜め込ませないよう働きかける施策なども必要だったはずだが、そのあたりも足りなかった。
なにより、カネを足している途中で付加価値税(=消費税)を上昇させたために消費者はカネを奪われ、局面はふたたびデフレーションに向かった。バスタブにお湯を張っている最中に栓を抜くようなもので、なにをやっているのかわからない愚行だった。
そんなわけで日本経済は以降もまた低迷しているのだが、非常に大事なことがわかった。国債をかなり増やしてもそう簡単に財政破綻は起きない――これを実証したことがアベノミクスの功績である。俺のアベノミクスを買え!
まとめると、アベノミクスは政策として(かなり)正しく、実験として成功し、予定の手順と異なる状況を押し付けられて失敗した。これが森永さんの主張で、山本もそれをほぼそのまま踏襲している。……たぶん。
なので、政策そのものを評価すると「アベノミクスは正しかった(※もしも忠実に実行できていたならば)」になる。少なからぬ人々にとって顔も名前も見たくない国賊ながら、この点に関してはなぜか正解を手にしていたと後から気が付かされたのは複雑な気持ちだ。その他の部分があまりにもヒドすぎるから同情はないけどな。
なお、山本は付加価値税の撤廃を経済政策の最前に据えている。このほうが、カネが上から垂れてくるのを待つようなまどろっこしい時間も中抜きもないので手っ取り早い。そして、そのための "財源" があることはすでに安倍が示してくれたのだ。そこを下敷きにする以上は「正しかった」くらい言うのは避けられない意味があるというわけだ。
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