言葉

「始めに言葉があった。言葉は神であった。」聖書のヨハネ伝の始まりにこのように書いてあります。私は教会に行くような人間ではないですが、この「言葉」というのは神様の言葉のことなんだろうなと思います。でも、初めてこれを読んだ時はそのままの言葉を捉えて「何で言葉が最初なんだ?原始人って言葉話してなかったのでは?」と思ってしまいました。

どうやって人が言葉を話すようになったか、ものすごく諸説あるみたいです。Shippenberg Universityの心理学の教授は、言葉の起源は絶対わからないとしながらも、色々な説をあげています。「痛い!」のような瞬間にくる感覚から言葉が生まれた説から、音楽から生まれた説まで様々です。きっと解明はされませんよね。こればかりはどんな発掘からも証明できないんだと思います。

でも、同時にこんな研究もあります。人がコミュニケーションをとる際にどれだけ言葉も含める音声の情報を得ているか、という研究です。高いパーセンテージの説は90%が言葉以外、また、もう少し低い説では55%が言葉以外、というものが

あるようです。いずれにしても、半分以上であることは確かです。


最近、私が教える大学でも、留学生が多くなってきました。特に中国からの留学生です。

先日も来年度の学部と大学院の入試をしましたが、多くの中国人の学生が受験しました。

ただ、彼らの日本語は、全員がそれほど堪能なわけではありません。むしろ、きちんと話せる人が少ないくらいです。

往々にして、こちらが面接で質問したことと全く違う答えが返ってきます。

いや、「違う答え」と理解できるケースは良い方です。時々、何を答えているかさえもわからない場合もあります。

もちろん、学生の教育という観点からは、日本語能力試験のN1が取れるくらい頑張ってくださいとは言うのですが、

不思議なことに、何を言っているかわからない受験生の面接が成り立たないかというと、それは違うのです。

言葉ができなくても、この人はこんな感じの人だろうという感覚はちゃんと受け取れるのです。

普段の授業でも特に大学院となると音楽のデリケートな部分のディスカッションもありますので、その際に語学力がないと問題になります。ですが、稚拙な語学力であっても何かは伝わってくるのは毎日の授業で不思議だなと思います。

人間はもしかして言葉が頼りになると思いすぎているのかもしれません。

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