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「質疑応答」がしんどい──その要因を徹底解剖したら、奥深い現代組織の問題が見えてきた

セミナーや授業、ミーティングなどの最後に、必ずといっていいほど設けられる「質疑応答」の時間。

この「質疑応答の時間があまり得意ではない」という人は、けっこう多いのではないかと思います。

たとえば、授業やセミナーで「質問ある人?」と講師が聞くも誰の手もあがらず、「じゃあ、しょうがないな」と誰かを指名し始める。参加者たちは「当たりませんように」と祈りながらも、万が一当てられてしまったときに備えて必死に保険の質問を考える——この何とも創造的でない時間。誰もが一度は経験したことがあるのではないでしょうか。

あるいは、「『何か質問はありませんか?』と聞くのも聞かれるのも嫌だ」「わからないことがあるのに、質問が思い浮かばない」「質問はあるけれど、大勢の人の前で手を挙げるのが怖い」……そんな人も少なくないでしょう。

かくいう僕も、あの時間がとっても苦手なタイプの人間なのですが、この「質疑応答」、実はとても奥が深いトピックなのではないかと思っています。

あらゆる情報が検索可能になり、生成AIが民主化しつつある現代において、「わかったこと」を雄弁に語るよりも、「わからないこと」を表明できることは、今後ますます大事になっていきます。そして本来の「質疑応答」とは、「わからなさ」を起点とした対話のきっかけに成り得る重要な場であったはずだからです。

そこで本記事では、「質疑応答」を徹底解剖し、この時間のしんどさの正体、そして乗り越えるための方法について考えてみたいと思います。

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