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《創作交換日記》 自分にとっての表現のルーツ

創作交換日記「今日もぼちぼち」
今回は、飯塚大周(@112uka_ta15u)さんです。


みなさまお久しぶりです。飯塚大周です。

私は普段横浜市中区にあるDance Base Yokohamaというダンスハウスで働いており、ほぼ毎日コンテンポラリーダンスの創作や稽古の様子を目にするのですが、私自身は過去にダンサーや振付家として活動していたり、かつてダンスを習っていたりしていたことはないので、なかなか新鮮な気持ちでその様子を眺めています。

※Dance Base Yokohama(以下DaBY)についてはこちらをご参照ください↓

演劇作品やお笑いライブ、その他映像配信の仕事などは過去にたくさん携わってきたので、仕事自体はそれらの経験を生かして行うことができるものの、ダンサーや振付家が創作や稽古の時に何を求めていたり、何を目指しているのか、といったことはいまだによくわかっていません。

特にコンテンポラリーダンスの場合は、当事者である方々も言語化することは難しいようです。

ただ個人的にコンテンポラリーダンスと向き合うヒントにしているのは、「コンテンポラリーダンスのベーシックは自身の基盤となるもの」「コンテンポラリーダンスは多ジャンルの集合体」といったDaBYで出会い、私自身も私淑してやまないダンサーの小尻健太さんの言葉です。

このことについて具体的に小尻さんにお話をおうかがいしたわけではないので、間違った解釈をしていたらかなり申し訳ないのですが、私はシンプルに「自分がやってきたことをベースにコンテンポラリーダンスを観ていいし作品を作っていい」と捉えています。

言い換えると、音楽やアート、演劇、映画などダンス以外の分野でも様々なルーツを持った方が多く活動していらっしゃるように、コンテンポラリーダンスでも様々なルーツの表現者がいてよい、ということです。

さて、じゃあ改めて自分の基盤とか表現のルーツといえるものは何だろうと考えると、私の場合は「絵」なのではないかなと思うようになりました。

現在イラストレーターや画家として仕事を得ているわけではありませんが、小さい頃から絵を描いて人に見せるのが好きでしたし、実は美大生だったこともありますし、そして今も時間があれば描いています。

そうしたわけで最近は自分の絵画表現の経験をもとにダンスを考えてみるようになったのですが、他の方にこのことを話したときにちょっと認識の乖離があるなと思いました。

これは私も話してみるまで気づかなかったことではありますが、どうやら自分はダンスを「絵画」と重ねているのではなく、「描画」と重ねているようなのです。

つまり、完成された「絵画」ではなく「描くこと」そのものを。

またダンスというものに対しても自分は「ダンス作品」ではなく「踊ること」そのものを比較対象にしているようです。

特に振付がある場合は、描く行為により近い気がしています。
ダンサーが鏡やカメラに向かって身体の形態を確認しながら練習している様子はまさに、全体と細部を往復して消しては描きを繰り返すデッサンのようです。

乱暴なまとめ方にはなってしまいますが、このように「過程」に注目するとおそらく踊りは他の表現とも重なるところがあるのだと思います。
もしかしたら普段ダンスをしない方、観ない方にとってもそこには「踊りになるかもしれない種」があるのかもしれません。

続く(かも)

※絵の仕事はありませんが「いつかは自分も…」と心の中で火を灯しています!ご依頼等ありましたらぜひ!💪


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