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マクドナルドで10円払って私が得たもの

私はその日、マクドナルドに行くと決めていた。

ピラティスを受けている間も、大好きなポテトのことで頭がいっぱい。


私は、やさぐれた気分になるとジャンクフードが食べたくなる。

単純に味が好きなのと同時に、きっと高カロリーな食事をすることで体に悪いことをしている自分に酔いたいんだと思う。

あの、これでもかというくらい塩が振られたポテトに、薄っぺらいお肉が挟まったハンバーガー。

あー早く食べたい。

レッスンが終わり、足早にマクドナルドへと向かう。

そしてこの日、私はもう一つ決めていることがあった。

マクドナルドで募金をするのだ!




募金をしようと思ったのは、去年、母から言われた言葉が原因だ。

「アンタは損得を考える人間だからね」

母からの頼みを断ったときに言われた。ひどい。ひどすぎる。



私は毎年、母に誕生日プレゼントをあげている。
私には姉が2人いるが、姉達2人も母に毎年プレゼントをあげている。

プレゼントをもらった母は
父と姉達と私、それぞれの夫も含めた計8名が所属するグループLINEにプレゼントの写真を投稿する。
ありがとうのメッセージとともに。

だからプレゼントを忘れると、
家族の仲を育む場であるグループLINEが、公開処刑の場に早変わりする。
そして、ちょっとでも遅れようものなら「アンタからのプレゼントがまだ来ないんだけど」と母から急かされる。

そんなもんだから、毎年毎年、母の誕生日に間に合うように、せっせとプレゼントを送り続けている。

写真で見劣りしないようなプレゼント選びに気を遣いながら。

そんな母は、私の誕生日を忘れる。
ほかのメンバーの誕生日は忘れないのに、なぜか私の誕生日は高確率で忘れる。

私は年末生まれでもないし、閏年生まれでもない。それなのに、母はなぜか私の誕生日だけ平気で忘れる。

母から頼まれたことをやらなかったのは、それの仕返しだ。

小さな子どもみたいに「ママは私の誕生日を忘れてひどい!ママの頼み事なんてきいてやるもんか!」とはさすがに言えなかったから
アラフォーの私は、母から頼み事をされたとき「あー、無理」とだけ言った。

そこで、あの言葉だ。
私は世界に1人の愛するマッマに「アンタは自分に得がないと行動しない人間だ」と、さげすまれた。

そうか、私はそういう人間なのか。

ちょっぴり悲しくて涙が出そうになりながらも、自分の人生を振り返ってみた。

私が見返りを求めずに何か行動を起こしたことが、今まであっただろうか。

しばし考えた。
考え始めて2週間がたった。

ない。思いつかない。


私は母が言うように、見返りがないと行動しない、薄情な人間なんだ。

ショックだった。

・・・どうしよう。
こんな薄情な自分で、あと40年くらいある人生を生きていかないといけないの?

薄情な人間なんて嫌だ!


どうすればいい?
どうすれば、私は薄情な人間から脱出できる?

そんなこんなで私が悶々と悩んで、やさぐれ気分になり始めた頃、息子が「ハッピーセットが食べたい」と言い出した。

もうすぐ5年生だけど、息子はハッピーセットが大好き。
きっと、食べたらハッピーな気分になれるんだと思う。

「いいよ。ママもちょうどそんな気分だったし」と二つ返事でオッケーを出した。

このやさぐれた気分に、ポテトの塩が沁みるだろう。

寒いから家で食べたいと言うので、私がピラティスの帰りに買って帰ることになった。


その日の朝、息子とハッピーセットのおもちゃを確認していたら、ふとある言葉が目に止まった。

「ハッピーセットの購入が、病気と闘う子ども達とその家族の支援につながる」

え?何これ?全然知らなかった。ハッピーセットなんてこれまで何十回と買ってるのに。

あぁもう!ほんとに私って、自分に得になること以外興味がないんだ。ほんとに嫌な奴だ!

また凹んだ。自分の存在意義すら疑い出す。

・・・。

・・・。


・・・いっちょ、募金してみるか。



そうして向かった、行きつけのマクドナルド。

レジで「ハッピーセットの、この募金のやつお願いします」なんて言うのは、いい人ぶってるみたいで恥ずかしい。
万が一「募金ありがとうございます!」なんて可愛いお姉さんに言われたら、照れ臭すぎて自分を殴りたくなっちゃうかも。

だから、モバイルオーダーで注文した。いつもより、10円だけ多いお支払い。

この10円がドナルド・マクドナルド・ハウスに募金されて、病気の子供達とその家族の役に立つみたい。


出来上がった商品をいそいそと受け取り、店を後にした。

やった。10円募金した!

母に募金したことをLINEしようかと思ったけど、流石にやめた。意味不明すぎる。

でもこれで、私が見返りがなくても行動できる人間だと証明された!


私は無事に、薄情な人間から脱することができた。
残りの人生、私は胸を張って生きていける。なんだか新しい自分になったみたい。

道に落ちてるコミだって拾っちゃうんだから♪

たった10円でこんな気持ちになれるんだから、今度からハッピーセット買う時は、毎回10円余分に払おう!そうしよう!

なんか私、いい人みたいだな。嬉しいな。
またすぐにハッピーセット買おっと。

・・・。

・・・あれ?


・・・あれれれ?

私、見返り求めてるじゃん。

10円払うことでいい人の気分に浸れたから、だからまた払おうとしているんじゃん。

病気の子供たちのためじゃないじゃん!

そもそも10円払おうと思ったのだって、自分が損得を考える人間じゃないって証明するためだった。

え?私、がっつり見返り求めてるじゃん。


結局、私は母の言う通りの、損得で動く人間だった。

また凹んだ。

今度こそ、立ち直れなそう。

・・・。


・・・。


・・・ちょ、待てよ?


純粋に病気の子供達のために支払う10円と、よこしまな思いを抱えた私の10円。

よくよく考えれば、価値は同じじゃないか。

それに、動機はともあれ、私は今回自分の意思で募金したんだ。

私の10円だって、これからドナルド・マクドナルド・ハウスに送られて病気の子ども達の役に立つんだ。

お金に色はない!


それに、こう言っちゃなんだけど、純粋に他人のためだけに行動できる人間なんて、この世のなかに何人いるんだろう?

行動したときは他人のためだと思っていたとしても、どんな行動でも行動したことによって得られる感情はあるはず。

そもそも、「人助けのために募金したい」や「自分が薄情者でないと証明するために募金したい」という気持ち、
これらはどちらも「募金したい」という、その人自身の欲望じゃないか。

自分の欲望を満たすために募金をするという点では、もしかしたら同じかもしれない!


こうして、私は立ち直った。

息子はハッピーセットでハッピーになったし、私は10円払っていい人風になれた。私の10円はドナルド・マクドナルド・ハウスに支払われて、病気の子ども達やそのご家族の支援のために使われる。

こんなどうしようもない私だって、ほんの少しでも世の中の役に立てるんだ!


お金って、払う側でも、もらう側でも何かを得られる。お金を介して、みんながつながっている。

そこに、今回は募金というシステムが介在しただけ。


小学校の頃、学校で赤い羽根募金をした。
そのとき仲良くしていた子達が募金するということで、母に「アンタも募金しなさい」と言われて募金した。

募金をすると、胸に赤い羽根を付けてくれる。

赤い羽根は、募金した印。いい人の印。

私には、それがどうにも居心地が悪かった。
赤い羽根を付けられるのが嫌で、次の年は募金をしなかった。

マクドナルドの募金システムはサクッとできるからいい。
仰々しいことは何一つない。

モバイルオーダーしてしまえば、私が募金したかしてないかは、ほぼ誰にも気付かれない。
クレジットカードからサクッとしれっと募金額が加算して引き落とされる。

そこに、余計な感情を挟む暇などない。赤い羽根を胸に付けられたときのように、自分の内面に抱える矛盾に向き合う必要もない。

そして後から知ったが、ハッピーセットを注文しなくても募金ができるらしい。

息子がハッピーセットを卒業しても、私がポテトを食べ続ける限り、気軽に募金ができるのだ。


それに・・・。

ドナルド・マクドナルド・ハウスは治療が必要な子供の家族が、病院の近くで快適に寝泊まりできるようにと作られた施設。


私は持病があって、3歳の頃と高校生の頃に入院した。どちらも手術を含めて、2週間程度の入院生活だった。

高校生の頃はともかく、3歳の私は母が帰る時間になると寂しくなったのを今でもうっすらと覚えている。

母が毎日私の病院に通っていたので、自宅に残された姉たちの面倒は田舎から出てきた母の母、つまり私にとって祖母が見ていた。

私が入院してから1週間ほどたったある日、姉たちは祖母に「もう大丈夫だから、早く帰ってください」と言ったそうだ。
姉たちは父から「おばあちゃんになんてことを言うんだ!謝りなさい!」とこっぴどく叱られたそうだが、
少し後になって、母から「どうしてあんなこと言ったの?」と尋ねられ、
「おばあちゃんがかえれば、ママがおうちにもどってくるとおもったから」と言ったそうだ。

私は夜に寂しさを感じていたけど、姉たちは昼間、母のいない寂しさを我慢していたのだ。

2週間程度の入院でもそうだったのだから、長期で入院する子供やその家族の負担はきっと相当に重いものだと思う。

ドナルド・マクドナルド・ハウスは病院のすぐ近くに施設があり、そこで家族が寝泊まりできるシステムになっている。

ほかの兄弟も泊まれるし、週末にきて泊まることもできる。病院の近くにあるから、昼も夜も何かあれば駆け付けられる。

子供が入院中は、入院している子供も兄弟も、そして支える家族も寂しさを抱えてしまう。

そして入院が長引けば長引くほど、付き添いの負担は重くなる。そんなとき、家族が快適に過ごせる宿泊施設が病院の近くにあったなら。

「どんな時でも家族が一緒にいられるように。」
そんな思いのもと、ドナルド・マクドナルド・ハウスは作られたそう。

家族が近くにいてくれるという事実は、きっと病気と闘う気持ちを奮い立たせてくれるんだろうな。

純粋に、素敵だなと思った。



大好きなモノにお金を払って、それが結果的にほんの少しだけ世の中のためになる。

自分のためだろうが、自分のためでなかろうが、支払ったお金の価値は変わらない。

見た目は同じお金の顔をしていながらも、さまざまな感情をのせてお金は回り続ける。

マクドナルドさん、こんないい循環を作ってくれてありがとう。

そして、やさぐれた私でも気楽に募金できるシステムを作ってくれてありがとう。


マクドナルドのポテトを無性に食べたくなる、やさぐれた気分のときが私の募金の日。

私は、これからもマクドナルドを推し続けます。

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