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一番悪いやつ


「お前はシステムを設計するシステムエンジニアだ。それに比べて、世の中を覆うシステムには、システムエンジニアが存在しない。誰が作ったものではないんだよ。独裁者はいない。ただ、いつの間にか出来上がったんだ」

モダンタイムス・伊坂幸太郎


いろんな争いが世界で起こると(戦争なんてずっと起きているけれど)それに加担しているというような企業の名前を出して、「あそこのコートを着ているなんて」「あそこのコーヒーを飲むなんて」というふうに言われるようになります。これは例えば、ですが、他にも直接的に商社さんの名前を出したりもあります。不買運動のようになったりもします。

きっと、それは概ね正しいのでしょう。
ただ、それだけでいいのだろうか?と考えます。


最初に書いたモダンタイムスの中で、諸悪の根源であると思われる会社に主人公たちが乗り込むシーンがあります。そこには、会社があり、社員がいて、受付があるだけです。そこは「会社」だからです。
わかりやすい悪者はいない。そこにいる人たちは自分の仕事をしているだけで、それが最終的には他者の人生を損なうようなことになるとは思ってもいないわけです。

「戦争に加担している!」というのは正しいと思うのですが、その企業にいるのは「普通の会社員」であるということは忘れてはいけないことだと感じます。そこに乗り込んで行っても何も解決はしないのです。

「誰が作ったものではないんだよ。独裁者はいない。ただ、いつの間にか出来上がったんだ」

となると、ひとりひとりの力は無力です。


それでは、何もしなくてもいいのか?ということでしょうか。

モダンタイムスの中では
「目の前のことと対決」
「見て見ぬふりも勇気」
といろんな選択肢が描かれます。
大事なことは「ひとりひとりがきちんと自分で考え選択すること」です。
選択肢の優劣はない。

デモに行く人、署名活動をする人、不買運動をする人、何もしない人、自分で考えた結果であるならば、全てが正しいのです。


悪いやつはいないし、偉いやつもいないのです。


モダンタイムスの登場人物であり作家の伊坂はこう言います。

「だから考えを変えた。1人くらいに。小説で世界なんて変えらんねぇ。逆転の発想だ。届くかも。どこかの誰か、1人。」

自分で考え、行動すること、文字にすると大したインパクトもないのですが、覚悟のいることだな、とずっと思っています。


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山路 裕希(YUKI YAMAJI)
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