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ジョーカー
夜、玄関や窓を開けた時に、あの「夏の匂い」を感じる。夏が来る。
このnoteもそうだし、SNSも、自分のお店も、自分の生き方さえもなんかよく分からなくなる時期やタイミングが結構あります。バイオリズム的なものだと思うけれど。
「何書こう?」「おもしろいかな?これ」「味音痴の人だけで成立している店になっていたらどうしよう」「そもそもこの生き方で自分は合ってるのか」
それで人の真似をしたくなったりする。
文章の書き方や言い回しや、呟く内容、流行ってるお店のポイントを探ってみたりして自分に取り入れてみようとする。
そうするとその「猿真似が上手く出来ている事」で、その点に関しては満足度が上がるけど、やっていくうちに根本的な解決じゃないっていう事に気付く。
そうすると納得は出来ない、っていうところに行き着くわけですね。いや、もしかすると最初から本質的な解決にはならないっていう事には気付いているかもしれない。それでも猿真似しないではいれないっていう状態です。
とにかく何をやっても失敗だな、って思ってしまう。でも自分が足を突っ込んだ世界だから入り口にも戻れないし、出口もどこにあるか分からない。
季節で言ったら冬です。冬が来たなぁってそういう状況の時は思います。
芽も出ないし、枯れていくばかりでやり過ごすしかない。
僕の知り合い(お客様)が「ジョーカーを引く」という表現をされていて本当にその通りだと思います。
もちろん四季にとっての冬や、カードにおけるジョーカーは必要なんだけど。それは乗り越えるべき状況なわけです。
ジョーカーの次にジョーカーはもうやってこないし、冬の次は春が来るって決まっている。
だからどんなに人の猿真似をしたくなったり、堪え難い失敗を感じてもひたすら耐えれるようになった。(まだまだだけど)
自分は自分らしくあるべきで、それで色々凌駕したりねじ伏せていかないといけないよなぁって思います。
そんな冬も楽しめるように最近はなったけど。春のいい匂いが次にやって来るって分かっているので、それを寝て待つ小さな命のように楽しんでやり過ごして生きたい。
とはいえ。
僕が好きな漫画「付き合ってあげてもいいかな」のなかで
「こんなに晴れるなら降らないでほしかった」というセリフがあります。
ハッピーエンドが実際にあったらすごいこと、なわけで、できれば雨も、冬も、ジョーカーま、来ないでほしい、というのが素直なところではあります。
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![山路 裕希(YUKI YAMAJI)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/111791982/profile_a0eb8b7d0ffdcb57594117b021c0950a.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)