本当の復活
この記事はTHE YELLOW MONKEYのアルバム、sparkle Xの先行試聴会に参加してのレポート(のようなもの)です。
THE YELLOW MONKEYは解散したことがある。解散していた、とも言えるけれど、一度この世界から無くなったのだ。
2016年に再集結ということで復活を果たしたが、そこからこれまでに発売されたアルバムは9枚目の「9999」だけで、その他はライブ盤やシングルの発売、デジタル配信に留まっていた。
どれも素晴らしい作品だった。
しかしながら、新しいチャレンジへの取り組みや、今の時代へのバンドの向き合い方や、さらにはこれからどうしていくのか?なども踏まえた上で、おそらくはイエローモンキーというプロジェクト自体が順風満帆ではなかっただろうし、ファンもそれは同じで「これまでとはどこか違う、私の知っているイエローモンキーではないイエローモンキー」と言えるような“誤差”にほとんどのファンが戸惑っていたのではないだろうか。もちろん自分自身もそうだった。
「あれはしないんだ?」
「これはやめたのかな?」
とか。いろいろある。
鮮やかに、華麗に、復活!と言うにはあまりにもギャップがあり、情報を処理することに一生懸命というのがバンドとファンの当時の状況ではなかったか。
そもそも、解散以前は、喜怒哀楽や、バンドそのもののストーリテラーとして楽曲が存在していたような面があったが、再集結後ではイエローモンキーで音楽をまたやれることの喜びだったり、ファンのみんなために普遍的な音楽を作るようになったように思える。
つまりはTYMS(the yellow monkey super)プロジェクトという大きな企業のために生命活動を行っているように思えたのだ。
TikTokや、会員向けのフレンドリーなコンテンツなどもそのうちのひとつだったのだろう。
昔のファンクラブの会報誌のような匂いは消えてしまった。
わざわざ、時代とファンに歩み寄ってくれていたのだ。(多少は無理してたのかもしれませんが)
どこかわがままで、ヒリッとした、ずっと居心地の悪そうな、巨大化しながらもずっとアングラな、例えるならそれはまるでゴジラのようなイエローモンキーは消えてしまったのだ。
もっと好き放題やってくれていいのに、と。
(良いとか悪いとかではなく、時代が変わり、歳月が過ぎれば、そんなことは当然、ある)
もちろん、ファンからすれば生きてる間に復活してくれただけで幸せなのですが。
そもそも、1999年のバラ色の日々から始まっていたチャレンジシリーズ(外部からプロデューサーを招くなど)が本当の意味では、今の今まで続いていたような気さえしてくるのだ。そう思うと、納得がいく。
順風満帆な復活劇に見えたが、本当は、暗中模索、試行錯誤、絶体絶命くらいの感じではなかったか。(コロナ禍もあった)
そしていよいよ吉井和哉の咽頭癌はイエローモンキーにとっては衝撃的なトピックであり、それはファンもそうだった。
バンドはずっと「何か」に苦しんでいるように見えた。
前作9999では
という歌詞がある。プロジェクト自体のことでもあり、吉井和哉自身の苦悩を表しているのではないか。
映画のどろろのように自分の身体を再確認している状態のような。
10枚目となる今回のアルバム、sparkle Xは再集結後からの数年間からの脱出と解決、とも言えるのではないだろうか。
サポートミュージシャンである三国義貴の復活や、一部雑誌での衣装が古着へと回帰していたり(スタイリストさんはいるが)、ファンやイエローモンキーというプロジェクトが心のどこかで「結局昔の感じっていいよね」「でももう違うのかなぁ」と思っているところへと戻っている。原点回帰だ。
ホテルニュートリノのMVの四人はまさに「ロックスターはルックスが命」を地でいく素晴らしいものだった。
「こういうのがいい!!」と思ったファンの方もいたのではないだろうか。
イエローモンキーってこれでしょ!みたいな。自分はそうだった。
モチーフもコンセプトも何もいらない、メンバーがいれば。
今回の試聴会でいち早く新譜を聴かせていただいたのだが、アルバム自体素晴らしいものだった。
100%手放しで「最高!」というものではなかったが、それはアルバムの中にどこか新しい命がさらにこれからまた生まれてくるような高揚感や楽しみがあったからだ。
再集結時に、モチーフとして蝶と蛹が使われ、華麗なる復活劇が演出されていたが、蛹から蝶へと帰るのはこれからだったのだ。
今、イエローモンキーは、まさにドロドロの蛹から蝶へと変身しようとしている。
あなたとわたしが何であるかは、受け取る人に委ねられるが、これはあなた(イエローモンキーという存在)で、わたし(メンバー)というふうにも解釈できる。
活動休止したあの日から、解散を経て、いよいよこのアルバムをもってTHE YELLOW MONKEYは復活するという決意表明なのだ。
このアルバムはまさに、復活の日にぴったり、なのである。