見出し画像

lost!


高校の友人、古い恩師、そういう人たちに会ったからか、最近よく学生の頃を思い出す。

学校がつまらないわけではなかった。行きたくないわけでもなかったし、いじめにあっていたわけでもない。
部活はとても楽しかった。本当に楽しくてそればっかりやっていた。

しかし、それ以外の人たちとうまくやっていくことはできずに、悶々としていた。嫌な奴がいたわけではなくて、むしろみんないい男子、いい女子、いい先生だったわけで、でもそれすらもなんか「本当かよ」みたいな、裏ではどう思ってるかなんて分からないもんね??みたいなことばかり考えていた。勝手に敵に仕立て上げ、教室やそこにいる人たちから早く立ち去りたかった。

38年、人間生きていればそれなりに変わるもので、きっと本当はもっと楽しかったんだとその頃の日々を後悔するようになった。

過去は変わらない。過去の「意味づけ」も自分のこれからの頑張り次第で変わると思っていたけど「いたずらに失った」という事実だけが残っている。今と未来をどれだけ必死に生きてもあの頃はあの頃のまま変わることがない。
「居心地悪いな」と思っていた毎日が急に「アレはアレで楽しかった!!」なんて変わるわけがない。

みんながちゃんと楽しんでいた恋とか教室での他愛もない時間、放課後のルーズなコミュニケーションなどを遠ざけていたように思う。
多分妬みのようなもので「楽しそうだな」と指をくわえて見ているだけで、それでもうまくやっていくことのできない自分という虚しさ。
それが自分をその輪の中から遠ざけていた。

そんなこと今更考えても意味はないけど「え、もう戻ってこなくない?」「あれで今世の青春終わり?」と考えると、目の前がぐらぐらする。
しかも元々なかったというよりは「自分で捨てた」のだから業が深い。

あまり楽しくなかった毎日のような気がずっとしていて、思い出すこともなかったんだけど、普通にみんなと同じようにできていれば絶対楽しかったじゃんみたいな気持ちが今はあったりする。
何が嫌だったんだっけ、と、そのときの感情を忘れている。自分がただ拗ねて子供だっただけで。
もうちょっといい反抗期の過ごし方があったのではないか、と思う。政治に怒るとかでよかった。
もっといろんな人と仲良くしたかった。

大学の頃も親友が池袋の方からうち(八王子の南の方)までいつも車で来てくれたりして「ラーメン行こうぜ」とか「海老名のSAめちゃでかいから行ってみようぜ」とかが日常茶飯事に行われていた。車内のBGMはその親友のバンドのオリジナルでレディオヘッドのような感じだった。
たまにJETが流れたりして「あぁいいよね」と盛り上がったりしてそれはそれで楽しかったのだけれど、その度に「ちょっと面倒だなぁ」と思うこともあって「今日はいいよ行かない」と断ったこともあった。

その瞬間はその瞬間しかないのに!

臆病というか、自分のテリトリーの外に何かよくないことがあると思っていた。だから自分の部活、自分の机、自分の部屋、自分のいつものメンバー、で全てを済ませようとした。

きっとそれがよくなかった。

っていうみんなが10代で気づくようなことを僕は今気づいたのです。


多分死んだらゆっくりできるので、来年はもうちょっといろんな人にフラットに会ったり、話を聞いてみたり、話をしたり、どこかへ行ったり、あと無茶(?)もしてみたい。

ちょっとしたそんな心境の変化があって、なるべく声をかけてもらえたときはスケジュールの合う限り、いろんな人に会うようにしている。もともとそういうタイプではないので続くと疲れるけど「今を強烈に駆け抜けている」感じがあってそれもまたいい。

「今を蔑ろにしてきた」のでその分、ちょっと無茶をしてでも。

普通の人からしてみればなんてことない話だと思うけど、昔の自分に打ち勝つための新しいチャレンジなのです。
「昔、教室で浮いていてさ」なんてダサいことはもう、いいかな、と感じる。

ここから先は

0字
毎月8〜10本ほど配信する、web上の雑誌のようなものです。 この記事は単体でも購入出来ますが(うちの店としての)コーヒー1杯の価格で読み放題ですのでマガジンを購読していただいたほうがオトクかも。過去記事も全部読めます。

ライブラリ。

¥650 / 月 初月無料

僕(ヤマジユウキ)の日々の生活のライブラリです。 凪のような日々のただの「出来事の記録」です。 それでも、毒にもなるし、薬にもなるような…

お店にも来てくださいね〜〜!!