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遠い

「過去は遠い」

78,338,770 kmという数字があります。
毎日頑張って50km歩いたとしても、 1566775.4日で、 つまり429.5年、約430年かかる。
これは地球と火星との距離の話です。
しかも火星が地球へと最接近しているときの距離だというので、途方に暮れるような話ですが、人間の寿命がそれ以上あるのなら、いつかはたどり着くというわけです。不可能ではないというだけで救いがある。

僕らはいつか未来へとたどり着きます。いま、まさに未来へと到着しています。生まれた日の未来、小学生の頃の未来、昨日の未来、さっきの未来。すでに到着しています。

でも、過去には絶対にたどり着くことがありません。430年歩いても、です。過去はもう存在しないからです。
存在しないものには向かうことができないのです。無いものほど遠いものはありません。
厳密には、あるのに無い、というのでしょうか。確かにあるのに確かに無い。

懐古ではなく、懐古へと逆流する現在を。

今でも遠い昔を思うことはよくあります。そしてそれを懐かしむ時間が増えました。MDで聴いたあの歌、あの頃の教室、青春全てを捧げた体育館の匂い。長い坂道、親友の顔や声。それからもう20年。本当に遠くへ来た。
火星までの430年にしてみたらとても近いように見えますが、懐かしんでも、もうたどり着くことは絶対にないです。
タイムマシーンがもしいつか、完成することがあっても、過去へは戻れない。自分は今の自分だからです。
もし再び過去を生きる、そんな世界があるならそれは、「やり直すとき」「繰り返すとき」だけでしょう。

あの頃へと帰りたい、帰れない、で絶望することもありますが、現在があるのは過去があるということで、もしたったひとつ帰る方法があるなら、現在を伴った逆流だけなのだろうと感じます。今を生きながら過去も生きる、とでもいうのでしょうか。

それにしても、帰るには遠すぎる。

古い友人たちと昔の話をしているだけで泣きたくなってくるのはなぜなのだろう。


「僕の失敗は僕の引き出しの中にしかない」という
友部正人さんの詩が好きです。

教材でも例題でもないのでそこから何かを学ぼうというのは、不可能です。一番怖いのは他人の成功や失敗を見て自分が何か成功したつもりになるとか、何か失敗した気になることです。

その成功や失敗は「その人の引き出しの中に」閉まってあるのです。あなたのものではないのだから。

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山路 裕希(YUKI YAMAJI)
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