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普通


自宅近くのカフェラパンでモーニングコーヒーを飲むことが増えました。
住んでみると、墨田区も台東区も、いわゆる下町だなぁという、THE混沌を感じる毎日で、しかしながらそのなかのオアシスともいうべき場所が上野のラパンです。


コーヒーだけでなく、トーストも食べてる

スタッフさん全員が素晴らしく、多分違うけど全員家族?と思えるくらい同じようなテンションでサービスをしてくれる。
チーズトーストのチーズがプロセスチーズだったり、月替わりのおすすめ珈琲もとても甘くて美味しい。


さて、普段はそのまま店に行って仕事して、帰ってきてこどもと自転車の練習。(まだひとりで乗れない)
夜ごはんを食べて、こどもとお風呂に入って、子どもが寝たら、妻と映画を観る。

毎日がほとんどそれです。

特筆すべきことなんかない。卒業した、昇進した、大きなプロジェクトが成功した、恋愛した、犬飼った、結婚した、田舎へ帰った、猫死んだ、とかそんな大きいトピックは、そうそう起こらない。
ましてや、この世はラピュタもなければ、王蟲もいないし、選ばれた勇者でもない。


もちろん、なにかを大きいトピックっぽく振る舞うことはできます。
雨に濡れて、何かを感じることはできるかもしれませんが、雨に濡れたら、「げ、最悪」としか思いません。
雨に濡れるだけでなく、何かを感じろ、みたいなことが言われますけど、「寒い、冷たい、最悪」くらいです。

基本的には人間の生活はなんてことはないただの小さな出来事で成り立っています。

コーヒーを飲んで、雨に濡れて、「げ、最悪」なんて思えればそれだけで平和で、そういう生活がままならない人たちも今はたくさんいます。「普通」は、とても難しいものです。伊坂幸太郎さんも作品のなかで「ハッピーエンドがあったらすごいことだ」と描いていました。

浅草のローヤル

浅草のローヤルも歴史があって、良かった。


昨日は王子の飛鳥山に行ってきました。

あがた森魚さんのタルホピクニックのラストを飾るということで、それに伴うフリーライブを観るためです。

タルホピクニックについて↓

あがた森魚のコロナ現象への問いかけとして「ギターを背負って歩く練習」という営みを王子飛鳥山にて始め、その流れのイベントとして「タルホピクニック」を形成し、毎月のイベントとして開催されている。

参加者は各々に好きな楽器を持ち寄り、楽器を持っていない人には、アフリカルーツの楽器である大きなひょうたんにビーズや木の実などを巻き付けて、振ってリズムを出す楽器シェケレを貸出して、飛鳥山から音無川親水公園界隈へと演奏をしながら練り歩くというもの。

昨日も一般の方と演奏をしながら飛鳥山の野外ステージへと登場してきました。



あがた森魚さんの歌へのパワーが凄すぎてただ圧倒された30分でした。
周りにいた家族連れや、散歩途中の人も「何やってるんだろう?」と覗きに来ては、そのまま最後まで観てしまった!という人がたくさんいました。
あがた森魚さんの"誰も僕の絵を描けないだろう"がすごい好きで
「直線の嵐の中で人は気が狂うだろう」
「一度始まればもう終わりはない」
「僕の失敗は僕の引き出しの中にしかない」
という詩(友部正人さん作詞ですが)は、中毒のように今も心に溜まり続けています。

飛鳥山公園はピクニック中の家族連れや、屋台、サイクリングの方、写真撮影を趣味にしている方など、とてもたくさんの人がいて、みんな幸せそうでした。


朝ごはん

そういえば、その朝は父の日だからと、こどもが珈琲をハンドドリップしてくれて、妻がペリカンのロールパンを美味しいバターと一緒に用意してくれました。
(バターロールには目がないのです、わたくし)

こういうトピックはたまにしかないですが、普通に感謝して、また頑張って働きます。

お店にも来てくださいね〜〜!!