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何者でもない表現者の自覚

まさか1年以上もnoteを書かないなんてと、大晦日に焦ってパソコンを開いている。
同世代以上はまだまだ現役感のあるSNS、facebookで友人知人たちの1年の振り返りの投稿をみて、羨望と焦燥が入り混じる、そんな大晦日。

noteをどうして書けなかったかといえば(誰にかけと言われるものでもないけど、書きたいネタはいくつかあったのだ)、その他の表現活動でいっぱいいっぱいになってしまったことがある。何かを表現するエネルギーは、やはり枯渇してしまうものらしい。
そんな2024年の終わりに、担当している連載の最後の原稿も入稿を迎えようとしている。この一年、日々の生活と共にあった2つの連載の仕事の終わりを迎えて、表現することを振り返ろうと思う。

暮らしの手触り

連載の一つは医学書院さんの雑誌「訪問看護と介護」の連載「暮らしの手触り」で、一度特集記事を書かせていただいたあと、noteを読んでくださった編集者さんに声をかけていただき、2023年から2年間連載をしていた。

これは2000字ちょっとの連載で、実際に書いている時間は半日くらいなのだが、肝心のアイデアが浮かばないと書けない。あれこれ思索しながらアイデアがふっと降りてくるのを待たないといけないのだが、これがなかなか降りてこないから困る。
思えば昔からコツコツというよりは一夜漬けタイプで、試験も直前まで勉強しなかった。医師国家試験も受験する直前の12月までは模試で下から10%以内だった。ぎりぎりまで準備できないこのくせは、社会人になってもなかなか直らない。

この連載では私の働くほっちのロッヂで、医師として、自分という人間として日々感じることをことばにさせてもらった。
軸となるテーマを1つ、そこに関わるようなエピソードが2-3個あると、2000字ちょっとの字数になる。2ヶ月に1回、3個ほどのエピソードを頭の中で膨らませる必要があった。そして客観的過ぎずに自分主語で、誰かを傷つけないような言葉選びも大切にしていた。

この連載を通して、日々の仕事での感覚を研ぎ澄まして、「嬉しい」「わくわく」「悲しい」「もやもや」といった感情が動いた瞬間を忘れないようにと、ずいぶん日常への眼差しへの意識が変わったように思う。
また、連載を始めるにあたりタイトルから挿絵から、コンセプトを話し合って決めさせてもらえたこと、毎回の校正の中で活字表現を洗練させていくプロセスなど、編集者さんとの関わりは私にとっても学びになった貴重な経験だった。

識者の眼

もう一つは2024年から始めた日本医事新報の「識者の眼」で、毎年何十名かのドクターが、それぞれの視点から医療界に対しての意見を述べる、エッセイだ。坂井はコミュニティドクターとしての視点から、連載をさせていただいている。

この依頼は2023年の秋ごろにいただいたが、お受けするか随分迷った。
なにせフルタイムの勤務をしつつ一般社団法人にじいろドクターズでの講演活動や執筆活動など月2-3件をこなしながら、コミドクの活動もして、とびらプロジェクトの活動もして(とびらプロジェクトのことはもっと言葉にしたかったのに、ほらできていない、ともう一人の自分が囁く)、何足もの草鞋を履きながら、さらにもう一つ連載を担当させていただくことが本当にできるのか。
何より怖かったのは、自分の中の表現のキャパシティーを超えてしまうことだった。

2ヶ月ちかく迷って、依頼いただいた方に電話をして、「なぜ私にご依頼してくださったんですか?」とも伺わせていただいた。

コミュニティドクターの活動が地域医療の視点からこれから重要になると思ったのでと教えていただき、きっともっと適した人はたくさんいるだろうと思いながら、何かのご縁で、自分自身の学びを整理する機会にもなると思い、お受けすることにしたのだった。

こちらは1200字程度なので、ひとつ大きなテーマがあれば、比較的さらっと書けてしまう。問題はこの分野において自分がプロフェッショナルでもなく専門家でもなく、一実践者・学習者に過ぎないことへのプレッシャーだった。

2つの連載を終えて

こうした連載の難しいところは、どんなふうに読まれて、どのように届いているのかがわからない、つまり読者の顔が見えにくいことだ。
特集記事とかであればある程度リアクションがわかるだろうが、1-2ページほどの連載に反応する人は多くないし、延々と壁打ちしているような孤独な感覚に襲われる。内心ドキドキしながら原稿を送ったあとの編集者さんからのコメントは、唯一読者の反応が見えるようで、とても助けられていた。
そして連載中は自分に体調の波があろうが、仕事へのモチベーションが揺れようが、容赦無く締切はやってくる。定期的にくる締切に自分の表現する感覚をチューニングすることが、なにより難しかったように思う。

何者でもないこと

職場のスタッフがときに連載を読んでくれて「ゆうさん(私のこと)の文章好きです」とか「いつも読んでます」と言ってくれることがある。身近な職場に読者がいることはとてもありがたく、冗談混じりに「本にしてほしい」と言ってもらうこともある。

しかしたった1000字や2000字ちょっとの連載を毎月生み出すだけでもこんなに頭を悩ませるのに、職業作家さんはいったいどんな思考回路をしているんだろうと思う。音楽も演技も文章もとマルチなタレントさんなどを見かけると、表現活動へのエネルギーに本当に驚かされる。
最近友人知人の中にも本を出す人も出てきていて、書籍に必要な何万字という文章を組み立てることは、およそ想像もつかない。2000字の連載でも何十回か続ければ本にはなるけど、その頃には自分の表現も尽きてしまいそうだ。実際、おんなじ言い回しをしてしまわないかに怯え、連載中は何度も過去の原稿を確認していた。

自分の文章を褒めてもらうと嬉しいし、ちょっと得意になることもあるけど、(今のところ)作家になれるわけでもない。
医者としてもまだまだ半人前で、果たしてこれから何をしていきたいんだろうと頭を悩ませる。文章や講演活動を重ねて、日々自分の選んだ言葉がどう響いているのだろうと怖くなる。
そして、自分はやっぱり何者でもないと思い知らされる。

これはきっと「特別な何かでありたい」という自意識の裏返しなのだろう。
決してポジティブだけではないこの複雑な感情に向き合うには、「何者でもない表現者であること」を受け入れることが必要だと思った。

2つの連載を終えて、ここ数年続けてきた講演活動や執筆活動、人知れず駆け抜けてきた表現活動に、この年末の振り返りとともに一つ区切りをつけたいと思う。

2024年最後の表現活動をnoteに残し、自分のなかの「表現したい!」というエネルギーがまた沸々と湧き上がってくるのを楽しみにしながら、来る2025年を迎えたい。


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