半端な落伍者

今年2月、私小説作家西村賢太の死を知り、私は呆然としていた。都合8年は読み続けてきた作家である。哲学者中島義道と並んで、彼もまた、大きな心の支えになっていた。

西村氏の生活スタイルは、昼頃起きて原稿を書き上げ、深夜から明方まで酒を呑む。その量が尋常でない。720mlの焼酎丸々1本に、ビール2本。焼酎を飲まない日は、日本酒5合に同じくビール2本。食べる量も相当に多く、油物が多い。

これでは長生き出来ないだろう・・・そうは思っていたが、あまりにも早過ぎた。しかも、病床に伏していたわけでもなく、タクシー車内での突然死であった。

私も20代前半の頃は、昼頃起きて14時からの仕事に向かい、日付が変わる頃に部屋へ戻り、シャワーを浴びた後は深夜3時頃まで酒を呑む生活をしていた。繁忙期は、酒を飲み始める時間がズレ込むと、寝る時にはすっかり雨戸のない部屋から朝日が射し込んでいるのだった。

私は若き日の西村氏(扮する北町貫多)のように、毎月家賃を滞納し部屋を追い出され、住居を転々としていたわけではない。昼頃起きて、明け方まで呑んで寝る生活はしていたが、酒量はたいていビール2、3本。日本酒換算で3合くらいは普通に飲めるのだが、普段は適当にセーブしていた。仕事上では半年足らずで既に人間関係に破綻を来し始めてはいたが、それでも結句3年は同じ場所で働いてはいたのだ。

西村氏自身、私小説において、自らの過去をある程度脚色していたのかもしれない。あの通りの人生を送っていたのだとしたら、それこそある意味驚異的な生命力と精神力である。人は普通、あそこまで明日食べるだけの日銭すらおぼつかない状況に耐えられない。身体よりもまず精神面から破綻を生じる。

私は大学を卒業してから、都合3年間の一人暮らしにおいて、最後の数カ月時点でも貯蓄はある程度人並みに保有していたが、それでも最終的には精神面から崩れていき、アパートを引き払い実家に舞い戻る結果となる。その後、再び職を得て立て直すまでにも8カ月余りを要した。

若き日の西村氏のような「突き抜けた落伍者」は、現実にはそうそういないのではないか。
私は今でも、自らを「半端な落伍者」であるとの思いから脱却出来ていない。それは収入面というよりも、私の本質的な対人関係構築の不得手さにおいて、何ら根本的には変化していない点に依拠する。
程度の差こそあれ、私以外にも自らを「半端な落伍者」であると自称する人は、実はそれなりにいるのかもしれない。それをある種「明るく開き直る」ための一助として、「私小説」というカテゴリーの本を手に取ることも、なかなか悪くないものと思われる。

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