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どうする必要もないであろう。そもそも中年にもなって「友達」が欲しいという感情が、まるで私のような人間嫌いには理解に苦しむのだが。 この手の、ある種の心の弱い者が発する「ねっとりとした」陰鬱な吐露が不快極まりない。まだ女子大生相手にお金払って食事の相手をしてもらっている小金持ったおじさんの方が、はるかにマシであると思う。 ネットで固定HN持って10年も活動していると、長い関係が続いている方もそれなりにいる。私とネットで長期に渡ってコンタクトを取り続けている人は、何故か健康問題
学生時代からその分野を研究していて、自分の興味ある領域と一致しており、その延長線上に今の仕事があり、満足のいく収入を得られている。 というのがひとつの理想形ではあると思うが、それら全てを満たせている人は、おそらくほんの僅かであろう。仕事自体は好きだが、収入が満足に得られていない、或いは収入は満足だが仕事そのものは苦痛である。たいていの人間はそうではなかろうか。 ここで、仕事内容もさして面白いものではないし、収入も人並だが、そこで共に働く人間が好きだから、それに救われていると
前回の日記で私小説作家西村賢太について取り上げたが、それ以前の大学生から25歳時点まで私が集中的に読み込んでいたのは、哲学者中島義道の著書であった。 当時、神保町の三省堂、池袋のジュンク堂、新宿紀伊国屋をその日の気分や他の行き先に合わせて選び、入り浸っていたものだ。私は本を読むこと自体は好きだが、ひとつ気に入ったものがあればそれを繰り返し読み込み、それから著者の他の作にどんどん手を伸ばしていくタイプであり、ともすると守備範囲が滅法狭い。先の大学生から25歳までは、そのほとん