苦しみはどう消し去ればいいのか
生きている自体「苦」という言葉がある。
だからそもそも幸せを感じるためではなく
苦しく生きることが修行だという視点で書いてる本を見て
色んな感じ方があるんだなぁと思ったことがある。
苦しみは消すものではなく、
味わって次の自分を見つけるためのもの。
幸せという感覚は少しのオマケで
人はそれよりも苦しむことを与えられていく。
だけど「苦しみ」の本当の意味を知ると
人は「幸せ」で生きる濃度が高くなる。
苦しみを扱って
色んな自分を育て作っていく。
苦しみを感じることが悪いみたいに言う人たちが増え
妙な「幸せ気取り」につかまる人がいて
ああでもない、こうでもないと
お互いに言い合いながら
人って生きてるんだね。
人はなぜ悩み苦しみ痛むのだろう。
思い通りにならないことを何かや誰かのせいにして
都合よく思う通りになる人を好み
だけど自分をどこかで否定しながら生きている。
生きていることに意味なんてない。
みんな修行をしているだけ。
生かされて、自分の欲や醜さや懺悔を
ずっとずっとさせられている。
「生きる時間」について色々考えたことがある。
人生ゲームのように誰かが回していて
ゴールになったら目覚める、とか
1度経験しているもう決まった人生を
再度生きている、とか
穢れをそぎ落とすために生きている、とか
「今」は死んでからの裁判、とか
本当に大切なのは死んでから、とか
(だから魂を綺麗にする人が死んだ後に最高な人生を歩むとか)
そもそも「死」と言うものは死ではなく
本当に生きるということ、だとか
ネクラな私ですが笑
色んなことを物心ついた時から
感じ、知り、考え、見てきた。
(だから人を見抜くことが天下一品と言われてる)
苦しみって何?
だけどもし「苦しみ」で追い詰められているなら
その苦しみの原因をゆっくり解いてほしい。
そして「苦しみ」は常に通常運転で
その中に幸せや喜びという感覚が錯覚してあるだけだと
思えばいい。
当たり前なんだから、当たり前に悩む必要もない。
という今日は「苦しみ視点」からのお話し。
だけど幸せを語り、幸せを感じるから
幸せがやってくる。
幸せなことがあったから幸せなんじゃなく
幸せを感じる心だから幸せに気づくんだよね。
じゃ。
今日は、こんな感じで。
Yuki