他人とは極論で言ってしまえばプログラムされた肉塊なのでは
人間関係が以前上手くいかない。睡眠を削った結果脳のコンディションが著しく低下しているのもあるが、会話内でリズムに任せて人をディスり言葉尻で跡を濁して気持ちよくなろうとする性格の悪さの隠蔽に苦心する。人と親しくなりはじめると途端これをやりがちで、親しくなりきった場所(長い関係の友達など)であればその場で殴り返してボコボコにしてくれるが現実そうもいかない。
他人との関わりは複雑怪奇なり。コミュ障の平沼騏一郎のようなことをほざきながらベッドに横たわる。
かつて夏目友人帳と言う漫画で主人公の夏目貴志の他者に差別と偏見を受け、そういった他人との関係を受け入れられない苦しみと絶望が「ひとりで生きていきたいなぁ」という言葉で表現されていた。そもそも俺は石を投げる側を辞めたいという話なので筋が全く違うし漫画の主人公に感情輸入するのはキリトかなやっぱりみがあるので少し引いた視点にこそなれど、実際そういった一人で居ることの寂しさやデメリットに耐えられれば他人との壁を分厚くする行為は他人との衝突を大きく避けられる。
しかしここは漫画でもなければ熊本の方の田舎町でもない。ここは自己責任の町、孤独な奴から死体に変わっていくコンクリートゴッサムこと横浜なのだ。そもそも夏目クンはイケメンだし華奢だし強い妖怪を連れているが、俺は芋ブスの中肉中背で抑うつ傾向とADHDを連れている。その上コミュ障である。芋ブスコミュ障は本当に冗談抜きで社会に出た時点で死体に変えられる場合がある。なのでコミュニケーションが必要なのだ。芋ブスの逆夏目貴志でも笑いものにさえしてもらえればまだチャンスがある。他人と友好関係があればまだ生きる道はあるのだ。例えニャンコ先生がいなくとも、である。
人のコミュニケーションをロジカルから考えていく中でたどり着いたのは、結局人間はコンピューターと同一なのだという結論だった。所定の行動→結果という根幹の方程式は変わらない。まぁ人によって、状況によって、季節によって、運によって、タイミングによって、結果は大きく変化する。しかし方程式自体には変化は無いのだ。自分の行動や発言が、何かしらの結果を生む。この式を元にコミュニケーションを考えていくべきなのだ。
弁明しておくと、別に俺はかつての少年革命家の方のように周りがロボットに見えているわけではない。実際は色々あるけれども、友達、とか感情、とかを色々省いて理論だけに絞って考えた時、人をプログラムで動く大きな肉だと考えることになったという話である。
まず一般的な場面で何もしないと言う行為を選択した場合は何も起こらない。しかしこれは選択を迫られていない場合である。つまりは話しかけるとか何かについて質問するとか、そういった主体的な行動を行わなければ、基本的には他人にとって自分の印象はプラマイゼロである。まぁ中にはよくわからん事ですぐ人を嫌いになるヤバい人とかが居るので、もうそういう人からは駆け足で逃げてください。夏目友人帳にもよくあるでしょ、妖怪から逃げるシーン。そんな無いか?
まぁ選択が迫られたときは取り敢えず角が立たないように、なんとな〜く可も不可もないことを言えば良い。可も不可もないことが何かはまぁ、ほら、頑張ってもらって。あと可も不可もない事言う人が嫌いな人も居るので、頑張ってそういう人は早めに見抜いてください。
駄目だ、やっぱコミュニケーションわかんねぇワ。ムズい。あと眠い。ダルい。キツイ。おっさんが考えるZ世代語句みたいなのが全部出たところで、本日は解散。コミュニケーションは難しいので、基本的に黙っていましょう。何か聞かれたら、取り敢えず自分ができる限り優しくしときゃ良いです。それでキレる奴はもう無理です。多分前世が小さめのハエとかやったんやろ。優しくしたってや。
あと、夏目友人帳は面白いのでオススメです。アニメの方もだいたいOPがカッケーので。