明るい夜と暗い昼を歩くために
せかしたててくるような人工の光から離れて、月光浴してみた。
pまあ月もまた変換人による人工物かもしれないけど、、
光合成できそうなほど、感知できていないだけで実は太陽よりも明るいのではないかと思えるほどの光を全身に浴びた。
日光浴や海水浴や温泉とも違う特有の効能があるようだった。
命を産みだす無数の父母たちの体を操りながら、
太陽のみならず宇宙の全ての星の光を反射して脈打つ月は、
決して受動的なものではないし、太陽が主であるわけでもない。
何かのせいにしてるときしんどいのは、
何かのせいにしてるようで実は、その何かを攻略できていない自分を責めてるからだとすれば、
能動と受動を日食のようにイコライズするような、
何かのせいでも自分のせいでもないというところから、
明るい夜も暗い昼も白夜も極夜も、歩くことができると思う。
それはそれとして、
白夜とは太陽が沈まないということだけではなく、
みかけの光の強さを理由に太陽を差別化することなく、
全ての星の光を日食のように結び等しくみつめることができる視界を得ることでもあるだろうか。
占星学では、どんな星の力も月を経由して人間界にやってくるという考え方もあるらしい。だとすれば同じように人間界で発生した意志や夢も月を経由して星空をつくっているはずだ。
無数の光が辿り着く終点であり、反射されて生まれ変わるターミナルでもある月こそ、
終わりとはじまりを司ってる特異な源なのかもしれない。