模倣と創造。

模倣とはなにでしょうか?だれもが、型やなにかしら影響を受けている。
否定すらする人はよほどの嘘つきだ。
ぼくはクラシックギターを爪弾いても何の値打ちもならないが、
精神安定剤より効き目のあるセラピーだ。
ヤマハの古ぼけた八十年代型のキーボードを弾くと嗜む程度の遊ぶのだ。
趣味の領域でなら、ぼくにとっては十分だ。これ以上、これ以下でもない。
常にぼくの鬱病は日々、缶詰め状態で、偽の笑みと偽の賛辞を聴き流すんだ。
偽だらけの世の中、それっぽく、みたいに作られた模造品たちと不揃いの歯形
行き場のない日々、若さを浪費し気づけば三十代、いい歳だ。
なにをしたいのやら、なにがいいたいの、まるでわからない。わかろうとしない。
いくあてのない。

束縛からの解放、?、自由への憧れ?尾崎豊的なマニュアル・ガイドライン?
なんていえばいいんだろうか…。盗んだバイクで走らないぼく、教室の窓硝子を割る勇気もないし、
アイラブユーなんて言わないし、ダンスホールで水割りを飲み干す女といちゃつくわけもない。
無縁。ぼくには似合わないんだ、なにひとつ。尾崎豊的な。

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