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最強の「習慣」とは :『ゴミ拾いをすると、人生に魔法がかかるかも♪(吉川充秀)』

胡散臭さにスルーしかけた

「なんか胡散臭いなあ・・」。
書店で本書を見つけた時の、正直な第一印象だ。
なぜなら、書籍のタイトルでは滅多に見ない「♪」マークに、「魔法」という言葉。
さらに、そのテーマが「ゴミ拾い」だという。

これは何かスピリチュアル系の、雲をつかむような話なのだろうか。
そう思ってスルーしそうになったが、何か気になって、パラパラとページをめくってみた。
その1分後には購入を決めていた。

読み終えてみて、これは決してスピリチュアルな話ではなく、むしろ科学的な話だと感じた。
例えば、筆者が主張する、ゴミ拾いによってもたらされる現象(効能)は、「マインドフルネス」に近いものがある。

思えばこの「マインドフルネス」だって、今でこそ科学的にその効果や原理が証明され、各界のプロフェッショナルたちが実践を表明しているが、ほんの数年前は「なんだか怪しげなもの」という風潮があった。
その時の現象に近い既視感を覚えたのだ。

そして、本書で繰り返し書かれている「自分を上機嫌でいさせる」ということ。
それは、ビジネスで成功するためにも、幸福な人生を送るためにも、最も重要なことなのかもしれない。
そのために必要なエッセンスも、本書から大いに学ぶことができた。

抜き書きメモ

(※個人的なメモのため、一字一句が本文と同じではありません)

18年間での大きな学びの一つに、「人生は、ものの見方、考え方と習慣で決まる」があります。人格は、その人が、外側の事象に対してどのような考え方で解釈するかで決まります。そしてもう一つは、その人が日常的にしている習慣で決まるということです。

ものの見方、考え方を変えて、習慣を変えることができれば、人生を変えることができる。自分の思い通りの人生をデザインすることができる。

「ノンストレス」たる所以は、ものの見方、考え方と、習慣です。私は、ゴミ拾いを通じて、このストレス社会のストレスフルな役職で、ほぼノンストレスで上機嫌に生きているという、不可思議な生き方をしています。

「足に筋肉の大半がある。だから、電車の待ち時間などの細切れ時間を見つけては、スクワットをしなさい。それが、カラダの代謝を上げる近道です」

早朝の日の出の時間にゴミ拾いをすると、眩しい朝日を浴びて何とも言えない幸せな気分になります。

電車やバスの待ち時間は、ゴミ拾いをする格好の細切れ時間。ゴミ拾いの時間中にひらめいた経営のアイデアを、片っ端からスマホに音声で入力してEvernoteに15個ほどメモした。

私は私のためにゴミ拾いをしています。私は、ただ楽しくて気持ちが良くて、ゴミ拾いをしています。そして、ゴミ拾いをしていると、大切なアイデアを閃いたり、鼻歌が出たり、無になれて、結果として上機嫌になるので、ゴミ拾いをしています。しかも運動にもなるので、一石三鳥どころか十鳥いや、正確に数えたら九十八鳥もあるのです。

アイデアをひねり出すのにうぅてつけなのがゴミ拾いです。ゴミ拾いをすると、無になりやすく、アイデアが「降りて」きやすくなります。

「心」というと曖昧模糊としているので、「物事をどう捉えるかという考え方が心」と定義するとわかりやすい。

被害者意識を持ちやすい人は、心理学上で言うと、最も幸福になりづらい典型的なパターン。

ゴミ拾いという習慣は、人生を変える最強の習慣と呼んでいい。

ゴミ拾いの究極の目的は、自分の状態を上機嫌にすることです。ゴミ拾いをしていると、いつの間にかゾーンに入ります。他人の目が気にならなくなり、ゴミと対話、そして自分との対話の時間に入っていきます。この時間が、何物にも代えられない、とても貴重な時間です。みなさんは、心を静めて、自分自身と対話をする時間を1日のうちどのくらい過ごしているでしょうか?

自分自身を変えるには、「形」である行動から変える方が簡単です。

人間の幸せを考える上で有効な考え方の一つが、死に際から逆算するという手法です。

最も簡単に心を変えるための習慣が「口癖を変える」なのです。

私はこの「一見、汚いモノ」を拾って、心がキレイになる、と思っています。一見汚いモノを拾って、「自分は偉い!」という自己肯定感が高まり、自分が好きになり、善いことをしたと思って、心が軽くなり、上機嫌になる。これが、心がキレイになると言われるメカニズムです。

心がキレイとは、つまり心がすがすがしい、軽くなる、つまりは上機嫌ということです。実は、心が軽い状態をゴミ拾いで創ることができるのです。

当時は、経営者として忙しい1日を送っていたので、消化にエネルギーを回さずに、仕事にエネルギーを振り分けられるように少食、不食ライフをエンジョイしていました。

一番嫌われ者のように思えるゴミのような存在を日常的に目にして、ゴミにすら愛着を持てるようになると、世の中のほとんどのものは愛おしくなるのではないでしょうか?つまり、心のキャパシティが広くなるのではないでしょうか?

最終的にはこんな風に楽しく思い込みます。「私がゴミ拾いが好きなのをわかっていて、誰かが私を楽しませるために置いてくれたのね、ありがとう♪」と。そう考えると、捨てた人にすら愛着を感じるようになるから不思議です♪

意図してノージャッジで、自分の上機嫌に集中する。

私は、人がたくさんいるところが苦手です。しかし、もっと苦手なのは、我先にと自分たちのエゴを丸出しにして競い合うことです。

ゴミを拾うとエゴが減り、豊かさマインドになります♪

エゴとは、わかりやすく言うと、「自分の思い通りにしたい」という心です。心がエゴや競争マインドの状態になると、穏やかでなくなります。

片側3車線の高速道路の追越し車線を爆速している車があるとします。この車は、我先にと目的地にたどり着くことを目標にしているので、心が「今ここ」にないのです。心は未来にあるのです。「早く到着して会議をしないと」というように、先の未来のことばかり考えていますから、焦ります。今を楽しむことができなくなります。

逆に、一番左側の車線を、アクセルを80キロの定速設定にして、アクセルから足を離して景色や会話を楽しむこともできます。私は、この人たちこそ、まさに「今を楽しみ、今を生きている」のだと思うのです。

ゴミ拾いを始めてから、左側の車線をまったり走る生き方も覚えました。この生き方は最高というより「最幸」です。

私の大好きな作家さんで、小林正観さんという人がいます。彼の唱えた方程式に、「自我(エゴ)+お任せ=100%」という方程式があります。エゴを100%発動すると、お任せがなくなります。エゴを無くすと、その分お任せが増えます。この方程式は人生の真理を突いていると私は思います。

エゴとは、「思い通り」つまり「期待通り」の生き方です。期待通りに生きても、満足以上は滅多にありません。期待通りにできたら満足で、期待通りでなかったら、不満の人生ですから。期待以上の奇跡が起こらない限り、感動がない人生になります。

ところが、「思い」をあえて無くして、お任せで生きると、「思い以上」つまり「期待以上」しか起こりません。すると、人生に起こることが全て期待以上、つまり奇跡の連続になります。

ゴミを拾うと、エゴが減ります。我が減ってきます。エゴが減ると、お任せの人生になります。するとシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)が起こり出します。偶然のような奇跡がキラキラと起こるようになる。こうなると人生は、俄然楽しくなります。

「俺が、俺が、の『が』を捨てて、おかげ、おかげの『げ』で生きる」人生。

起きた出来事をどう捉えるかで幸せは決まります。

物事をプラスに捉えるようにするには、まず、出来事はすべて中立であると認識すること。

物事は全て中立だと腹の底からわかってくるようになると、「トングにうんちがついたこと」を反射的にジャッジすることはありません。ただ中立なことが起こった。そして、その出来事を自分なりに解釈し出します。「この出来事は、何を教えてくれるだろうか?」。そのように教訓として捉えるようになると、そこからプラスの解釈ができるようになります。

「一見、マイナスなこと」「一見、問題に思えること」のように、私はあえて解釈と出来事を切り離しています。これを自然と切り離せるようになると、自分で自分の現実を創れるようになってきます。つまり、自分で上機嫌の世界を創れるようになってきます。

人生は「思い込み」でできている。全ては、自分自身の思い込みです。ということは、幸せになるには、思い込めればいいわけです。

感情はなるものじゃなくて、するもの。

自分自身の体の細胞が一番欲している音は何かというと、好きなアーティストの歌や音楽でもなく、自分自身の声による音。

ゴミ拾いの本質は「ストップシンキング」です。脳内のジャッジメントを止めて、考えることをストップすることです。そして、無に近い状態になる。すると、自分自身と対話ができたり、思いもよらない閃きがやってきます。イヤホンをして、音楽や情報をインプットして、脳内シンキングをすると、このゴミ拾いの最大の成果物とも言える閃きが消えてしまうのです。

心と体はつながっていて、自分の体の使い方、動かし方で心の状態を変えることができます。

少し仕事に疲れると、ゴミ拾いです。特にアイデアが煮詰まった時には、最高です。その時の問題意識に合わせて、思いもよらない閃きが降りてきます。

国内旅行はおろか、海外旅行にもゴミ拾いのトングを持って行きます。世界中でゴミ拾いをすると、その国の生活事情が見えてきて実に興味深いのです。

私は、一度コメダさんに入ると、長いと6時間ほどいることがあります(必ず3杯は注文しますが)。コメダさんには感謝の念も込めて、お店に入る前に、駐車場のゴミ拾いをします。

人気のカフェなどに行くと、席の争奪戦をするお客様がいます。車を降りると、いい席を取りたいから我先にと、店内に駆け足で向かいます。気持ちはとてもよくわかります。が、これほ、競争マインドです。そして、自分の思い通りの席に座りたいというエゴが働きます。心の状態としては、あまり穏やかとは言えません。

ところが、私は後から来た人が何人、お店に入ろうが、豊かさマインドのお任せモードでゴミ拾いをしているので、あまり気になりません。ゴミ拾いをしていると、豊かさマインド、お任せモードに入りやすいのです。「こんな善いことをしている自分には、絶対に最高の席が用意される」と強くお任せを信じられるようになるのです。

時には、一見不本意な席に通されたりしますが、その席にも座ってみると、結果的に仕事が捗ったり、お隣さんの会話から貴重なビジネスの情報を得たりと、ベストであることがほとんどです。お任せモードの時には、「今日の席にはちゃんと意味があって、最高だった」と天の配剤に感謝できるようになりやすいのです。

「いいことは起こる」のではありません。事象は全てプラスマイナスゼロです。その事象自体には、いいことも悪いこともないのです。

窓際ではない景色の見えない席になれば、お任せモードの豊かさマインド状態は、心に余裕があるので、「自分の代わりに、あの家族がキレイな景色で喜んでいる、よかった」と思えたり、「この席に通されたってことは、どんな楽しいことがあるんだろう?」とワクワクしながら思えるということです。すると、「いいこと」と解釈する確率が上がるので、「いいことが起きやすい」ということになります。

ゴミ拾いをすると、無心になります。脳内の思考が止まり、空っぽになります。すると、感覚が鋭敏になってきます。

この世の全ての出来事、事象、モノ、人はプラスマイナスゼロです。そのプラスマイナスゼロである出来事や事象に、人間が解釈を加えることで、「その人それぞれの」世界ができあがります。

解釈は形容詞と形容動詞でできています。「いい」「変わっている」「愛に溢れている」「偉い」「素敵だ」。つまり、自分の上機嫌の世界を創りたければ、形容詞と形容動詞を変えればいいことに気づきます。

「可愛い」を自分の形容詞にすると、自分の世界が、自分の宇宙が一変します。「可愛い」を口癖にすると、「プラスマイナスゼロであるはずの事象」や「一見マイナスの事象」までもが「可愛く」なり、可愛い世界が現れるのです。

「神様から愛される生き方をしているのは、自分だ!」と、ゴミ拾いを続けているうちに、確信を持てるようになりました。

I love myselfは、絶体観の世界です。この短い3つの単語の中には、自分以外は介在しません。

自分が大好きだと思えるように生きる。これが、幸せになる全てと言っても過言ではありません。

ゴミ拾いを続ける前は、最高の習慣は、トイレ掃除だと思っていました。私の大好きな小林正観さんは、トイレ掃除の効用をたくさん説いています。

ゴミ拾いこそ最高の習慣。自己肯定感、後自己効力感、自己有用感を最大限に引き上げ、世のため人のためになり、自信をつけて、自分が大好きになる習慣がゴミ拾いです。

ゴミ拾い体験が、受験や面接に有利になる。ゴミ拾いを使って自分ブランディングができてしまうのです。

もし私が政治家だったらどうするでしょうか?私なら、ヒマさえあればゴミ拾いをします。

罪悪感を持つことは、自己肯定感を著しく下げます。

この世界平和という、全人類の夢を達成する可能性を、私はゴミ拾いに見ています。

ゴミ拾いをしていると、ゴミと「お話」をすることがあります。ポイ捨てされている吸い殻を見て「あなたは誰かの役に立ったんだね。吸った人は気持ち良かっただろうなあ」。そんなことを心の中で思います。

広告の裏とちびっこ鉛筆たちを大切に使っていると、モノが応援してくれるような気がするのです。そして、不思議と神がかり的なアイデアがわいてきて、会議中に従業員さんに何度もビックリされました。

ものの見方、考え方一つで幸せをいくらでも感じることができる。ゴミ拾いのゴミですら、幸せをいくらでも無限に感じることができるのです。

「人生は美しい誤解でできている」という真理。

「自分が真実だと思ったことが真実」

自分でこの「美しい誤解」を積極的に作ったらどうだろうか、と12年前に電流を打たれたように、気づきました。

節約という行為のモトにあるのは「不安」です。節約はともすれば、将来のために自分の今のエネルギーを消耗してしまう行為でもあると言えるでしょう。

ゴミ拾いを習慣にしていると、ゴミが可愛くなります。ゴミとは、モノの命の最後の姿です。その最後の姿のモノと出会い、時に会話をしていると、モノを本当に大切に思えるようになります。

『天使の贈り物』の話。

自分を上機嫌にすることが最高の社会貢献だと思って、私は今日も鼻歌を歌いながらトングでゴミを拾って、自分の心の針を上機嫌に合わせています。

まとめ

終盤にあった「世界平和という、全人類の夢を達成する可能性を、私はゴミ拾いに見ています」という記述。

一見、荒唐無稽のようでいて、「実は本質を突いているのではないか」と感じさせられた。

世界平和を願って、おすすめしたい1冊です。


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